Bizコンパス

ユーミン「海を見ていた午後」を口ずさみ横浜山手へ
2013.01.29

あの歌、ゆかりの地へ第6回

ユーミン「海を見ていた午後」を口ずさみ横浜山手へ

著者 佐藤 由紀子

 ユーミンの曲は、女性にとって『恋愛の教祖でありカリスマ』、男性にとっては『女心を読む参考書』。「海を見ていた午後」は、1974年にリリースされた2ndアルバム「MISSLIM(ミスリム)」の1曲で、実在するレストランを舞台にした短編ドラマに、ユーミンの斬新な魅力がぎっしり詰まっています。

 

豊かな日本の象徴だったニューミュージックの先駆者

豊かな日本の象徴だったニューミュージックの先駆者 2012年11月に発売された、松任谷由実のデビュー40周年記念ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」は、2012年12月段階で売上げ55万枚を突破し、1月現在も売れ続けています。1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、そして2010年代という5年代連続で首位を獲得している唯一の歌手であり、アルバムの総売上げ3,000万枚を突破したのはソロ歌手、女性アーティスト史上初とか。40年間第一線で走り続けてきた結果でしょう。日本の戦後歌謡史の国民的歌手が美空ひばりなら、その後、高度成長期から安定成長期へ移行し、経済的、物質的に豊かになりバブル期へ突入した時期の国民的歌手はユーミンではないでしょうか。

 ユーミンは、1972年にシングル「返事はいらない」でデビューしました。1972年、フォークソングでは吉田拓郎「結婚しようよ」、井上陽水「傘がない」、GARO(ガロ)の「学生街の喫茶店」などがヒット、ちあきなおみが「喝采」で日本レコード大賞の大賞を受賞し、アイドル歌謡も華やかな時期でした。そこに彗星のごとく現れたユーミンは、同時代のキャロル・キングやカーペンターズといった洋風テイストをまといながらも邦楽においては今までの誰にも似ない世界観をもち、まさに「ニューミュージック」を世に送り出ました。その後、1975年の「あの日に帰りたい」が初のオリコン1位を獲得、荒井由実という名前が広く知られることになり、「ひこうき雲」「MISSLIM(ミスリム)」「COBALT HOUR(コバルトアワー)」の3枚のオリジナルアルバムがさかのぼって聞かれることになりました。初期の作品ながら、アルバムに収められたどの曲もハズレがなく、今聞いてもけっして古さを感じません。

 「海を見ていた午後」は、「MISSLIM(ミスリム)」だけでなく、40周年記念ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」にも収められ、ファンの支持が高い曲と言えるでしょう。ちなみにこのアルバムに収められている45曲(1曲は新録)は、歴代のスタッフやレコード会社の女性社員がファン目線で厳選した曲だそうです。

 

日本の恋愛を指南してきた恋愛の神様、ユーミン

日本の恋愛を指南してきた恋愛の神様、ユーミン あなたとユーミンの出会いはいつ、どんなきっかけでしたでしょうか。私は、ある時、センスのいい女友達が貸してくれた1stアルバム「ひこうき雲」を手にとり、歌詞カードの詞がもつ世界観、オーラに衝撃を受けました。老舗の呉服店の娘で、ミッションスクール出の多摩美術大学の美大生。中学時代にお洒落なイタリアンレストランに出入りして、グループサウンズの追っかけだったいうプロフィールにも興味を持ちました。その都会のセレブで知的で大人っぽいシンガーソングライターがつくる音楽は、それまでとは別世界でした。素朴でストレートで反社会的なフォークとは異なり、「好き」「会いたい」「淋しい」「切ない」といった感情をモノや行為でお洒落に言い換え、整然と構築し、そのシチュエーションやシーンが水彩画を描くように映像化されました。

 一度聴いたら耳に残る個性的な声で、スローテンポでしっとりと歌う「海を見ていた午後」は、静かでゆったり、まったりとした時間が流れています。ソーダ水の透明な緑色。グラス越しに見た海の景色を「ソーダ水の中を通る貨物船」と表現する視点、まさにソーダ水の泡のように才能のかけらが次々と生まれて浮かんでいくようでした。… 続きを読む… 続きを読む

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佐藤 由紀子

佐藤 由紀子

旅行会社OL、添乗員、専門学校旅行課講師を経て、同時にタウン誌、雑誌ライターの経験を積む。2011年11月より「メッセージ神戸」の姉妹誌で音楽をテーマとしたフリーマガジン「メッセージ仙台」編集長。「ライブは栄養ドリンク」と、年間2、30回足を運ぶ。
メッセージ仙台公式 http://www.message-sendai.com/

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