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渋沢栄一が新一万円札に描かれる意味とは
2019.05.26

なぜ新札に選ばれたのか? 日本を変えた三人の肖像第1回

渋沢栄一が新一万円札に描かれる意味とは

著者 小野 雅彦

 2019年4月9日、財務省は2024年度上半期を目処に紙幣を刷新することを発表した。新紙幣のデザインに採用される肖像画は、1万円札はこれまでの福沢諭吉から渋沢栄一へ、5千円札は樋口一葉から津田梅子へ、千円札は野口英世から北里柴三郎へと変更。紙幣の刷新は2004年以来、20年ぶりのこととなる。

 ここに挙げた顔ぶれを見ても分かるように、紙幣に採用されるのはいずれも国の発展に重要な役割を担った人物ばかり。渋沢は日本資本主義の父と称されているし、津田は女性の高等教育機関の設立に尽力した。北里は近代医学の礎を築いた人物として知られている。

 本連載では、彼らの残した多大な功績と、今日の日本に与えた影響や思想を、その生涯を振り返りながら解説する。第一回は、新1万円紙幣に描かれる渋沢栄一だ。

豪農育ちのお坊ちゃま、外国人排斥活動を諦める

 渋沢栄一は1840(天保11)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれた。ペリーが黒船を率いてやってくる13年も前のことである。

 血洗島は、そのおどろおどろしい名とは裏腹に、裕福な地域だったようだ。藍染めに使う藍の葉が名産で、これをもとにした商売を営む地域であり、渋沢家も近隣でとれた藍を買い入れて、染め物の材料として使う藍玉に加工・販売する商売を、父の代から始めていた。これ以外にもビジネスを多角的に展開しており、渋沢家は村でも一、二を争う財をなす豪農だった。

 そんな渋沢家の長男として生まれた渋沢は、家業を手伝いながら経営を学んでいた。実践のなかから、商売のイロハを身に付けていったのである。

 一方で、親戚の漢学者・尾高惇忠(おだか あつただ)のもとで教養を学び、剣の修行にも励んでいる。そのなかで、渋沢が筆写するほど熱心に読んでいたのが、尾高が著した『交易論』だ。同書には次のような一節がある。

「西洋列強は、日本の質の高い優良な金の流出をもくろんでいるところがある。日本の商人は、むしろ西洋の劣悪な銀の流入をあえて受け入れて、その代わりに良質な金を流出させてしまっている」

 尾高は外国の脅威を排斥しようとする攘夷論者であった。ただし、当時の志士たちの多くが志向していたような武力による排撃ではなく、あくまでも外国人の不当な貿易から身を守らねばならないとする、商人の立場からの考えが尾高の主張の骨子といえる。

 尾高の展開する攘夷思想に、渋沢が傾倒していたことは想像に難くない。1863(文久3)年、24歳になった渋沢は、仲間を募って外国人居留地を焼き討ちにする計画を立てた。

 いよいよ決行が差し迫っていたある日、渋沢は… 続きを読む… 続きを読む

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小野 雅彦

小野 雅彦

フリーライター

歴史時代作家クラブ会員。雑誌やムックなど、戦国時代や幕末などの日本史にまつわる記事を中心に執筆。地方に埋もれた歴史や人、事件などについて取材を続けるほか、東日本大震災以降は原発関連の記事なども手掛けている。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)がある。秋田県秋田市出身。

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