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オリンピックがプロパガンダの場に。1936年ベルリン五輪と幻の東京五輪
2019.04.20

オリンピックと日本人第3回

オリンピックがプロパガンダの場に。1936年ベルリン五輪と幻の東京五輪

著者 野田 伊豆守

 オリンピックで注目されるのが、聖火リレーと、聖火台への点火だ。

 オリンピックの聖火は、古代オリンピックが行われていたペロポネソス半島のオリンピアにあったヘーラーの神殿跡で採火され、開催都市まで運ばれる。2020年の東京オリンピックでも、リレーや点火の方法に仕掛けや演出が施されるはずである。

 だが、聖火リレーは当初からあったものではなく、1936年のベルリンオリンピックから始まった。実はナチスの指導者、ヒトラーによる国家的プロパガンダのために行われたことをご存知だろうか。

 今回は、政治色が一気に強くなっていったベルリンオリンピックと、好成績を残した日本人選手の活躍を見ていこう。

 

1932年ロサンゼルス五輪の日本選手躍進の裏にあるもの

 1928年アムステルダム大会で、悲願ともいえる金メダルを2つも獲得できた日本は、1940年の第12回大会を、自国に招致することを決定した。

 とはいえ、開催地に選ばれるためには、IOC(国際オリンピック委員会)の投票で、別の候補地よりも票を得なければいけない。そこで日本は、IOCに対するプレゼンスを高めるため、1932年のロサンゼルス大会に、前回の3倍以上となる131人の選手団を送り込んだ。

 ロサンゼルス大会は、10回目という節目の大会であり、華々しいものになるはずであった。だが1929年10月24日、ニューヨークのウォール街で起きた株の大暴落をきっかけとして世界恐慌が勃発。参加国(地域)の数は37で、アムステルダム大会の46からマイナス9カ国、参加人数は2883人から1334と、半分以下になってしまった。開催期間は7月30日から8月14日、16競技117種目が行われた。

 この大会から、オリンピック史上初めての写真判定装置(カービーカメラ)が導入された。使用されたのは100分の1秒を競うようなレースでのみだった。実際にこの大会における男子100m決勝で、1位と2位が同タイムだったため、写真判定が行われている。

 大会が行なわれたロサンゼルスには、多くの日系人が住んでいた。だが空前の大選手団を送り込んだ日本に対して、彼ら日系人たちは、あまりいい感情を抱いていなかったようだ。

 その背景には、1931年に軍部が起こした満州事変により、日本は中国東北部に進出していたことがある。アメリカは満州事変に反発しており、国内に反日感情が渦巻いていた。日本を応援したい人がいても、それを許さない空気が満ち溢れていたのだ。

 そんな逆風の中でも、日本人選手団は奮起。金メダル7個、銀メダル7個、銅メダル4を獲得する大活躍を見せた。とくに競泳では、男子6種目中5種目で金メダルを獲得。陸上では、走り幅跳びの世界記録保持者だった南部忠平は、ほとんど練習をしていなかった三段跳びで優勝。前回大会の織田幹雄に続き、この競技で日本が連覇を果たしている。なお、南部は走り幅跳びでは銅メダルに終わった。

 もうひとつの金メダルは馬術大障害である。出場した西竹一騎兵中尉は男爵の爵位を持つ華族であった。西は、馬だけでなくオートバイや自動車、カメラ、銃など多趣味で、しかも語学も堪能な紳士である。ロサンゼルスでも交友関係を広めた彼は、現地で「バロン西」と呼ばれ人気者となった。反日感情が強かった現地メディアも、西の快挙は大いに賞賛される。

 それから13年後の1945年、西は戦車第26連隊長として硫黄島に赴任。オリンピックで共に優勝を勝ち取った愛馬ウラヌス号のたてがみを身に付け戦い、42歳で戦死している。

 

ヒトラーが認めたオリンピックのプロパガンダ効果

 続く1936年の第11回大会は、ドイツのベルリンであった。ベルリンは一度、1916年の第6回大会の開催都市に選ばれている。しかし第一次世界大戦により、大会は中止。さらに、ドイツは同大戦に敗北したことで、国土は荒廃、世界恐慌時には経済危機にも陥っていた。そんな状態であったにもかかわらず、1931年に行なわれた開催地を決める投票で、スペインのバルセロナを破り、開催地に決定していた。

 ところが1933年に行なわれた総選挙で、アドルフ・ヒトラーが率いるナチス党が政権を獲得すると、雲行きが一変。ヒトラーはかねてから反ユダヤ、反フリーメイソン(「友愛」を標榜する、世界的な秘密結社)を掲げていた。彼はオリンピックを「ユダヤとフリーメイソンによる発明」と位置づけていたため、ベルリンでオリンピックが開催される事を好ましく思っていなかったのだ。

 だが側近たちから「オリンピックは大変なプロパガンダ効果がある」と説得され、開催に同意する。開催を決断したヒトラーは一転、… 続きを読む… 続きを読む

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野田 伊豆守

野田 伊豆守

のだいずのかみ 1960年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、徳間書店を経て、フリーライターとなる。歴史、旅行、アウトドア、鉄道、オートバイなど幅広いジャンルに精通。現在、主に雑誌・書籍中心に執筆活動を行なう。主な著書として『東京の里山を遊ぶ』『旧街道を歩く』(以上交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)、『太平洋戦争のすべて』、共著『密教の聖地 高野山』(以上三栄書房)など。

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