「日本人はなんて野蛮なんだ。クジラを食べるなんて!」。この言葉、海外で何度聞いたことだろう。そして何度議論したことだろう。
今回は捕鯨の歴史を通して、「野蛮」や「価値観」や「文化」について考えてみたい。
昆虫食は野蛮なのか?
最初に右の写真を見ていただきたい。ラオスのパパイヤサラダ「タムマークフン」で、乗っているのはタガメ。タガメは日本でも水田などに住んでいる昆虫で、東南アジアで広く食されている。もちろん、混入などではない。気持ち悪いだろうか? 野蛮な料理なのだろうか?
「ゴキブリは汚い」。そもそもこの価値観は正しいのか? 東南アジアやアフリカではゴキブリを飼っている子供を何度も見たし、幼い頃の私の妹はゴキブリを平気で手でつかんでいた。彼らは間違っているのだろうか?
「おしっこは汚い」、あるいは「排泄は恥ずかしい」。これはどうだろう? 中国では電車の中やレストランの片隅で子供におしっこをさせている姿をよく見かけたものだ。また、いわゆる「ニーハオ・トイレ」と呼ばれる昔ながらの中国式トイレにはドアも仕切りもなかったりするが、朝になると中国人たちはそんなところで井戸端会議(トイレ内会議)に花を咲かせている。なお、健康な人間の尿は飲んでも問題ないという。
「麻薬は悪だ」。世界には数多くの麻薬があり、古代エジプトの壁画には大麻が描かれているし、宗教儀式や麻酔などの医療目的で昔から各地で大麻や幻覚キノコ、幻覚サボテンなどが使われてきた。医学的に、普段私たちが飲んでいるアルコールはアヘン系(ヘロイン等)に次いで強力なドラッグであるようで、2014年に厚生労働省がまとめた治療が必要なアルコール依存症患者の数は109万人と推計されている。
「女性にとって胸をはだけるのは恥ずかしいことだ」。これは? ナミビアの北部にヒンバ族と呼ばれる人たちがいる。多くは電気もガスも水道もない乾燥地帯に生きており、そんな村では女性は上半身裸でいて、少しも恥ずかしがったりしていない。ところが、町に近い大きな村の女性はブラジャーを身にまとうようになり、町に入るとみなTシャツを着こむようになる。
ある日、日本で「手の甲を見せることは恥ずかしいことだ」という価値観が広がったとする。皆がそれを受け入れるようになると、あなたも途端に恥ずかしくなる。善悪の観念をはじめ、野蛮-野蛮じゃない、キレイ-汚い、恥ずかしい-恥ずかしくないといった価値観は、そのようにして決められる極めてあやふやなものであるようだ。
では、「捕鯨は野蛮である」という価値観はいつ生まれたのだろう?
『白鯨』と近代捕鯨の歴史
メルヴィルの小説『白鯨』は、モビー・ディックと呼ばれる伝説のマッコウクジラを捕ることに命をかけるエイハブ船長の生き様を描いた名作だ。この作品にあるように、欧米諸国は18~19世紀、世界中でクジラを捕獲していた。
「搾っては搾り、搾っては搾り! 長い午前中いっぱい、わたしは鯨脳を搾りつづけて、しまいには自分もそのなかでとろけてしまいそうな気がした」(メルヴィル著、田中西二郎訳『白鯨』新潮文庫より)

当時の捕鯨の目的は「鯨油(げいゆ)」。クジラの脂肪や内臓を搾って出てくる鯨油はランプの燃料油やロウソクの原料、機械類の潤滑油として重宝され、特にマッコウクジラとシロナガスクジラのそれは香辛料以上の高値で取り引きされたという。
19世紀後半になると乱獲のため大西洋での捕鯨が難しくなり、イギリスやアメリカの船団は太平洋に進出し、日本近海にも接近した。1853年に黒船を率いてやってきたペリーの目的のひとつは、こうした捕鯨船のための寄港地の確保だった。
20世紀はじめに太平洋でクジラが激減すると、捕鯨船団は南極海に進出。多くの国々で捕鯨数を競ったことから「捕鯨オリンピック」と呼ばれる捕鯨競争が巻き起こった。
しかし、この頃には鯨油は石油で代替され、以前ほどの利益は見込めなくなっていた。クジラの捕獲も難しくなり、1930年代には捕鯨規制が行われるようになった。
いつから捕鯨が野蛮になったのか?
捕鯨が各国の重要な産業であった時代、それが野蛮であると見なされることはなかった。この価値観が覆るのは第二次大戦後だ。… 続きを読む