2015年8月14日に発表した安倍首相の戦後70周年談話で台湾が中国や韓国と併記されていたことから、中国のメディアは「台湾を独立国として扱った」としていっせいに非難した。
日本政府は1972年に中国と国交と結んだ一方で、台湾とはいまだに国交を結んでいない。ところが2014年にもっとも多く日本を訪れた外国人は台湾人であり(観光庁訪日外国人消費動向調査より)、2番目に多く台湾を訪れた外国人が日本人となっている(台湾観光局統計より)。
日本で発行されている世界地図を見ると、台湾が中国と同じ色で塗られており、「台湾」の表記が「中華人民共和国」の文字より細く小さく書かれているのがわかる。日本は台湾を独立国と認めておらず、中国の一地方と考えているようにうかがわれる。
実は中国で発行されている世界地図も台湾で発行されている世界地図も、中国本土と台湾島はやはり同じ色で塗られている。しかし、両者が意味するところはまるで反対だ。

今回はこうした複雑な問題が横たわる台湾の独立問題について考えてみたい。
台湾の歴史 1. 大日本帝国の支配まで
最初に台湾の歴史を概観しておこう。
台湾島は紀元前からその存在を知られていたが、長らく島を統一する政権は生まれなかった。17世紀にオランダが進出して港や要塞を建設し、中国南部の福建省や広東省から労働者を移住させてプランテーション(大規模農園)を経営して東アジアの拠点とした。
中国では1644年に漢民族の国・明が滅亡し、満州族の清が全土を統一する。南部を中心に漢民族が反乱を起こすのだが、その中のひとりに現在も台湾建国の父と称えられる鄭成功がいた。鄭成功は日本人の母親を持つ人物で、父親が漢民族であったことから明の再興を掲げ、台湾に渡ってオランダを追い払い、台湾を東都と呼んで漢民族の政権を打ち建てた。
清は1683年にその東都を滅ぼすと、台湾を福建省に組み入れる。といっても台湾全土を統治するようなことはせず、中国とは異なる「化外の地(皇帝が支配する地ではない)」として半ば放置した。
1894年に日清戦争が起こると日本はこれに勝利し、翌年の下関条約で台湾を獲得する。日本は台湾に投資して上下水道やダム・鉄道などのインフラを整備し、教育制度を充実させた。台湾が本格的に開発されたのはこのときがはじめてといえるだろう。
台湾の歴史 2. 国民党と共産党の争い… 続きを読む… 続きを読む