20世紀、ヨーロッパで独立運動といえば旧ユーゴスラビアや北アイルランド、バスクで行われたような武装闘争をイメージさせた。
ところが、最近起きているスコットランドやカタルーニャの独立運動はそれほど武闘色が強いものではないのにヨーロッパ各地への影響が懸念されている。
なぜいまこうした新しい形の独立運動が起こっているのか、その現状を解説する。
国という概念とイギリス、日本
海外を旅しているとさまざまな国の人と会話をする。最初のセリフはたいていこれ。“Where are you from?”
日本人は躊躇なく「ジャパン」と答えるわけだが、我々が知っている国名で答えない人は意外と多い。たとえばイギリス人の場合、「イングランド」や「スコットランド」と答える人が少なくないのだ。
イギリス人にとって「国」とはイングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドのこと。これらをまとめたのが正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」だが、これは連合王国の名前であって個々の国ではないという認識だ。
明治以前の日本をイメージすると理解しやすいだろうか。当時の「国」は藩を意味した。自分を「日本人」と考える人は少なく、あくまで「会津の人」や「土佐の人」だった。「全国大会」が世界大会を意味していないのがその名残だ。
日本はその後、隅々にまで同じ教育を施し、国民に日本人であることを強く自覚させた。これができたのは民族・宗教・言語・文化に大きな差がなく、高度な教育を施す財力があり、1つにまとまらないと植民地化されてしまう外圧があったからだろう。
イギリスの歴史と共同体意識
イギリスの4か国に住む人たちはそれぞれイングランド人、ウェールズ人、アイルランド人、スコットランド人と呼ばれている。イングランド人はゲルマン系、他はケルト系と言われるが、現在では混血が進んで一概にそうも言えない状況だ。
そもそも「民族」は遺伝的な違いを基準としておらず、その定義は「同じ文化を持ち、同じ共同体意識を持つ、大きな集団」といったところ。ケルト人が消滅したのは他民族と同化していく内に共同体意識が薄れ、アイルランド人やスコットランド人という括りの方が重要性を増し、民族名が上書きされたことによる。
イギリスはイングランドの主導で連合が進められ、1282年にウェールズ、1707年にスコットランド、1801年にアイルランドを取り込んだ。どうして日本のように「イギリス人」という共同体意識を浸透させることができなかったのか?
最大の理由は格差と差別だ。連合前、長年にわたって戦争を繰り返してきた歴史があり、たとえばイングランドはアイルランド人を奴隷として輸出していた事実さえある。イギリスが北アメリカ~ヨーロッパ~アフリカ~インド~オーストラリアに至る「太陽が沈まぬ帝国」を打ち立てても、中央議会を占めるのは主としてイングランド人であり、政策・税制・仕事等々、多方面で格差や差別は消えなかった。
スペインとバスク、カタルーニャ
スペインの事情も基本的には同様だ。… 続きを読む