勝利の裏にあるリーダーシップ(第2回)

マネジメントを重視しすぎて敗れた陸軍大国フランス

2018.08.31 Fri連載バックナンバー

 歴史は、日本史・世界史に限らず、数多くの戦争の上に成り立っている。その中には、戦力的に劣っていたとしても、軍師や戦術家の機転によって形成を逆転した戦争も存在する。本連載では、劣勢を覆し勝利へ導いた、リーダーの判断、策略、機転を、現在のビジネスシーンになぞらえて紹介する。

 今回は、第1回で紹介した1940年のナチス・ドイツ軍の侵攻を、敗者側であるフランス軍の立場から見てみよう。軍事大国と呼ばれたフランスはなぜ敗れたのか。ひもといていくと、戦争の本質を見誤ったフランス軍の側面が見えてくる。

 

フランス敗れたり

 1941年5月15日午前7時30分、イギリス首相ウィンストン・チャーチルは、フランス首相のポール・レイノーに電話で起こされた。レイノーはいきなりチャーチルにこう言った。

「われわれは敗れました」*1

 この時点で、ドイツ軍の装甲集団はフランス北東部のスダン付近で、ミューズ河の防衛ラインを突破。ドイツ軍主力の矢面に立たされたフランス第9軍は壊乱状態となり、フランス軍首脳部そしてフランス政府はパニック状態に陥っていた。

 ドイツ軍が、西方侵攻作戦を開始したのが5月10日。約1か月後の6月14日にパリはドイツ軍に無血占領され、同16日にポール・レイノー内閣は総辞職。後継内閣首班のフィリップ・ペタン元帥は、降伏を決断。そして22日に休戦協定が結ばれる。フランスは敗北したのであった。

 このフランスのあっけない敗北の原因はどこにあったのか?

 かいつまんで言うと、政治的には戦間期(第一次世界大戦と第二次世界大戦の間)のヨーロッパを覆った巨大な厭戦感、左派と右派の対立による政治の混乱といったところだろう。また軍事の視点で見た場合、マジノ線(ベルギー、ルクセンブルク、フランス国境からドイツ、スイス国境に至る一大要塞ライン)に代表される退嬰的な(新しいものに取り組まない)軍備もよく言われるところだ。とくにドイツ軍と比較した場合、「第一次大戦型の軍備」と批判されることが多い。なるほど確かに現在の目から見ればそうであろう。

 しかし、ドイツ軍の機甲部隊と空軍を統合し、速度を戦力とする「電撃戦と呼ばれるもの」も、きわめて即興的な戦い方であり、かつドイツ軍の伝統的な組織文化に根ざしたものであった。またドイツ軍も第一次世界大戦の教訓のなかから軍備を組みたてているのだ。したがって同じように第1次大戦の経験を踏まえ、さらにそれを――後述するように――洗練させたフランス軍に対する多くの批判は表層的な感じもする。

 ではフランス軍は、どのような考え方をもとに戦争を戦おうとしていたのか。フランス軍の軍事思想とそこに大きな影響を与えた第一次世界大戦の経験からそれを考えてみたい。

 

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樋口 隆晴

樋口 隆晴

1966年東京生まれ。編集者、ミリタリーライター。長く雑誌『歴史群像』(学研)の編集に携わり、現在はフリーで歴史・軍事関係の執筆活動を行う。ライターとしては用兵思想や軍隊の運用を主なテーマとした戦史記事を執筆。歴史ムックなどに多数寄稿。主な著書は『戦国の堅城Ⅰ,Ⅱ』『軍事分析 戦国の城』(共著)など。

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