勝利の裏にあるリーダーシップ

迅速な意思決定を生む、ドイツの「指揮の文化」とは

2018.05.31 Thu連載バックナンバー

 歴史は、日本史・世界史に限らず、数多くの戦争の上に成り立っている。その中には、戦力的に劣っていたとしても、軍師や戦術家の機転によって形成を逆転した戦争も存在する。本連載では、劣勢を覆し勝利へ導いた、リーダーの判断、策略、機転を、現在のビジネスシーンになぞらえて紹介する。

 初回で紹介するのは、1940年に起きた、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツ軍のフランス侵攻である。当時のフランスは軍事大国であったが、ドイツ軍は圧倒的なスピードで勝利を収めた。その背景には何があったのだろうか。

 

電撃戦は存在しなかった?

 1939年9月1日、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツのポーランド侵攻が開始された。同時に英仏はドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まった。

 翌1940年5月10日、ポーランドをほぼ一か月で占領したドイツ軍は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そしてフランスへと攻め入った。この戦いは、16日には戦勢がほぼ決した。戦車を中心とした高度に機械化された機甲部隊(ドイツでは装甲部隊)の大軍では突破不能と思われたアルデンヌの森林地帯を抜け、ムーズ河を渡河したドイツ軍主力は、フランス軍主力およびイギリス大陸派遣軍の背後を、一路、英仏海峡に向けて進撃することで彼らを包囲壊滅せしめた。「ダンケルクの戦い」を経て、フランスは6月21日に降伏する。

 フランスほどの軍事大国が、かくも短い時間で敗北するとは、戦前には予想されなかった。そしてその驚くべき成功ゆえに、ドイツ軍のこの新しい戦い方は、よく準備された革命的な戦略として戦後も長く信じられてきた。

 しかし近年の研究では、「電撃戦という戦い方」などは存在しなかったことが証明されている。

 ドイツ軍とフランス軍(イギリス等も含めた連合軍)の額面上の兵力を比較してみると、軍事行動の基本単位となる師団数でも、兵器の数でもドイツ軍は連合軍に対し劣勢であることがわかる(以下の表を参照)。さらにその内実に少し踏み込んでみると、ドイツ軍は「兵力」のみならず「戦力」としても不利であった。

 しかも、2,943両の戦車のうち1,478両は小型戦車であり、新型で主力とされたⅢ号、Ⅳ号戦車は合わせて627両。残りは、併合したチェコ製の戦車だった(チェコ製戦車は比較的高性能だった)。

 くわえて、師団の練度にも問題があった。戦闘力が充実していた師団は77個のみで、このうち戦車を主力とする装甲師団は10個、自動車で行動できる自動車化師団は6個。残りは徒歩で行軍し、大砲や補給車両は馬で牽引されるという歩兵師団だったのだ。

 

アドバンテージを相手の弱点に叩きつければ勝てる

 こうしたドイツ軍で、英仏連合軍にアドバンテージがあったとすれば、… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

樋口 隆晴

樋口 隆晴

1966年東京生まれ。編集者、ミリタリーライター。長く雑誌『歴史群像』(学研)の編集に携わり、現在はフリーで歴史・軍事関係の執筆活動を行う。ライターとしては用兵思想や軍隊の運用を主なテーマとした戦史記事を執筆。歴史ムックなどに多数寄稿。主な著書は『戦国の堅城Ⅰ,Ⅱ』『軍事分析 戦国の城』(共著)など。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter