2018.03.18 Sun

 現代のビジネスにおいて、資本力や組織力に劣る者が強者に勝つことは難しいが、決して不可能ではない。本連載の第1回で紹介した「桶狭間合戦」、第2回の「河越夜戦」も、兵力で圧倒的に劣る“弱者”側が、奇襲によって勝利を掴んだ。

 奇襲を成功させるには、そのタイミングとともに場所も重要である。奇襲を仕掛けやすい場所に敵が来れば、その成功率は格段に上がる。とはいえ、敵軍がそう簡単に弱者の望む通りに動いてくれるはずもない。

 今回紹介する毛利元就の「厳島合戦」は、弱者が強者に対し、奇襲を仕掛けやすい状況を作り出した好例だ。弱者である元就は、最も奇襲攻撃の成功率が高い場所に敵を誘導するために、周到な準備とあらゆる謀略を仕掛けたのである。

 

2万の勢力に対し、4千人の軍勢でどう対抗するのか

 毛利元就といえば、戦国時代における中国地方の覇者であり、大河ドラマの主人公としても取り上げられた人物である。

 もともと毛利氏は安芸(広島県西部)の山間に割拠する小領主だったが、元就によって勢力を急速に拡大。その支配圏が安芸国の全域にまで広がってきた頃、元就が臣従する大内氏が、家臣の陶晴賢(すえ はるかた)の謀反により簒奪(さんだつ、政治の実権を奪い取ること)される。これを契機に、元就は大内氏の傘下から離れる決断をする。が、好戦的で気性の激しい晴賢が、これを捨て置くはずもない。

 「近いうちに晴賢は毛利領へ侵攻してくる」

 こう予測した元就は、これを迎え撃つための作戦を練った。中国地方の最大勢力だった大内氏の遺領を奪った晴賢には、2~3万の大軍を動員できる力がある。それに対して元就が動かせる兵力は4,000~5,000。この圧倒的な力の差、敵の虚を突く奇襲攻撃の他に勝機は見つからない。

 奇襲を仕掛けるなら、その効果が最大限に発揮できる場所を戦場に選ぶべきだ。そう考えた元就が選んだ理想の戦場が、広島湾に浮かぶ厳島だった。

 

元就が厳島をフィールドに選んだ理由

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青山 誠

青山 誠

大阪芸術大学卒業。『坂野惇子 子ども服にこめた「愛」と「希望」』(KADOKAWA)、『戦術の日本史』(宝島SUGOI文庫)、『江戸三〇〇藩 城下町をゆく』(双葉新書)などの著書がある。また、アジア経済の情報誌「BizAiA!」で『カフェから見るアジア』、日本犬雑誌『Shi-ba』での実猟記などを連載中。
(編集:株式会社ネクストアド)

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