「フェイクニュース」の時代を生き抜く(第4回)

世論を操作した「新聞王」ハーストの華麗なるウソ

2018.05.28 Mon連載バックナンバー

 マスメディアは、しばしば人目を引くような見出しや内容によって人々の興味をかき立てようとする。営利企業である以上、発行部数や視聴率を伸ばして利益を確保しなければならないからだ。発行部数を伸ばすため、俗っぽいゴシップなどを派手な演出で報道する。他社を出し抜くため、さらに報道合戦が加熱する―――こうした報道の手法は「イエロー・ジャーナリズム」と呼ばれる。

 マスメディアが、時に嘘や誇張も交えて、大衆を煽るようになったのはいつからだろうか。歴史を紐解くと、100年前には既に扇情的な報道は行われていた。その中心人物が、本稿の主役である、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863~1951)だ。

 ハーストは30に及ぶ新聞に加え、雑誌・映画など関連企業を傘下に収め、「新聞王」という異名を取った実業家だ。彼は19世紀末~20世紀初頭にかけてイエロー・ジャーナリズムを展開したが、一体どのようなテクニックで、世論を手玉に取ったのだろうか。

 

弱小地方紙からスタートした「新聞王」

 ハーストは、1863年にカリフォルニアで生まれた。父ジョージ・ハーストは、19世紀のアメリカ西部開発の時代に、鉱山経営者として財を成した実業家だった。経済的成功を収めたジョージは政治に関心を持ち、赤字の続いていたサンフランシスコの日刊紙「イブニング・エグザミナー」を買収する。叩き上げで教養に乏しかった父は、新聞社経営に不向きであったが、逆にそれがハーストの成功の足がかりになった。

 ハーストはハーバード大学に入学したが、勉強には不熱心だったらしく中退している。しかし、大学中退後の1887年に「エグザミナー」紙の経営を父から引き継ぐと、「メディア王」としての才覚を早くも発揮し始めた。

「発行部数を増やすには、幅広い階級の人々に訴えかけるのが一番だ」と考えたハーストは、まず、紙名を「サンフランシスコ・エグザミナー」に改称し、見出しを大きくし、イラストをふんだんに使うレイアウトに変更した。

 記事の中身としては、殺人事件や大事故などの報道を増やし、大げさな脚色を加えた文体で、読み手の心を掴んだ。ターゲットは下層階級だけでなく、スポーツ報道や海外のニュース、人気作家の連載小説なども掲載して、あらゆる階級に読まれる新聞を目指したのである。

 こうした改革には、辣腕の編集者や評論家の引き抜きなど巨額の出費を要したが、父の資金に物を言わせて乗り切った。こうして、弱小の地方紙に過ぎなかったエグザミナー紙は、サンフランシスコの有力紙に成長していった。

 この頃、ハーストはまだ30代前半の若さだった。彼はエグザミナー紙の成功に飽き足らず、今度はアメリカの中心地・ニューヨークへ進出した。

 (ちなみに、アメリカの新聞は日本と違い、全国紙よりも地方紙の方が発達している。広大な国土全体に、均一な紙面を提供するのは難しいからだ。有名な「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」も地方紙である。「ウォールストリート・ジャーナル」などの全国紙が存在感を発揮し始めるのは、通信の発達した1980年代以降のことだ。本稿で登場する新聞も、すべて拠点都市とその周辺限定の地方紙である)

 

ピュリッツァーVSハーストの読者獲得競争

 1895年、ハーストは経営不振だったニューヨークの日刊紙「モーニング・ジャーナル」を買収し、「ニューヨーク・ジャーナル」と改称した。

 この時、ハーストのライバルとして立ちはだかっていた新聞経営者が、… 続きを読む

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三城 俊一

三城 俊一

歴史ライター

学習塾勤務のかたわら、世界史・日本史を問わない執筆活動を行う。著書に『なぜ、地形と地理がわかると現代史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社)。

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