「娯楽」において世界トップをひた走るウォルト・ディズニー・カンパニー。
アニメでは、『アナと雪の女王』などで知られるウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ作品は来年公開の『モアナと伝説の海』で56作を数えるほか、『トイ・ストーリー』シリーズをはじめとするディズニー&ピクサー作品や、『くまのプーさん』シリーズで知られるディズニートゥーン・スタジオ作品も人気を博し、他の追随を許さない圧倒的なシェアを占めている。
テーマパーク事業では、2016年6月にオープンした上海ディズニーランドを含めて世界6か所に展開し、東京の2園の累計入場者数は2015年末までで6億6,055万人と、驚異的な数字を叩き出している。テーマパークとしてもやはり世界のトップのブランドだ。

こうして世界の娯楽をリードするディズニーだが、その歴史はひとりの男のごく平凡な夢からはじまった。彼の信念はこの言葉に込められている。
夢を追い求める勇気を持てば、すべての夢は叶えられる。このことをきっと忘れないでほしい。すべてはたった1匹のネズミからはじまったのだということを
彼、ウォルト・ディズニーは度重なる失敗の中でミッキーマウスを開発し、成功を収めてからも変わらず挑戦を続けた。生涯最大の夢、ディズニーランドを開園しても、そこに留まることはなかった。
ディズニーランドはけっして完成することがありません
世界に想像力がある限り、成長しつづけるでしょう
なぜウォルトは夢を実現できたのか?そして挑戦を続けるのか?数々の名言から探ってみたい。
失敗続きのウォルト・ディズニー
ウォルトは幼少時、裕福とはいえない家庭で育ち、町外れで電車を眺めたり、動物を追い掛け、景色を絵に描くことを何より愛していた。妹は彼の絵をたいそう喜び、絵の購入を持ちかける大人たちもいたという。
高校生になると本格的に絵を志して専門学校に通いはじめるが、1914年に第一次世界大戦がはじまると愛国心を刺激され、学校を中退して赤十字に志願。フランスに渡ると、衛生兵として破壊された廃墟の中を飛び回った。ウォルトはそんな場所でも時間があると絵を描き、人々を勇気づけ、喜ばしていたという。
1年後に帰国すると漫画家になることを決意して単身カンザスシティに上京。しかし仕事には恵まれず、銀行員である兄ロイが紹介した広告デザインの仕事で食いつないでいた。ここで出会ったのが… 続きを読む