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最後まで徳川家と江戸の町を守った“女城主”篤姫
2017.10.29

「女武将」から学ぶリーダー像第5回

最後まで徳川家と江戸の町を守った“女城主”篤姫

著者 かみゆ歴史編集部

 大河ドラマ「おんな城主直虎」が佳境を迎えつつあるが、およそ10年前にも、城を守りぬく女性を描いた大河ドラマがあった。宮崎あおいが主演を務めた「篤姫(あつひめ)」である。

 同ドラマのモデルとなった「天璋院(てんしょういん)篤姫」は、滅亡しかけた徳川家と江戸城、そして江戸の町を最後まで守り抜いた、気高いリーダーだった。

 

薩摩の娘が将軍の正妻になった理由

 篤姫は薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家の一門、今和泉家当主の長女として生まれた。島津家は鎌倉時代より薩摩一帯を治める名門で、代々優れた藩主を輩出することから「島津に暗君なし」と呼ばれるほどだった。

 幕末の動乱期には、島津斉彬(しまづなりあきら)という名君を生んだ。斉彬は西欧列強の脅威が日本に迫る中、薩摩に日本初の産業革命といわれる集成館事業を興し、製鉄・造船・紡績などの工場群を建設、国の守りを固めていた。

 この斉彬から、薩摩の命運を託されたのが篤姫だった。篤姫は聡明で健康だったことから、従兄にあたる斉彬の養女になり、安政(1856)年、21歳で第13代将軍・徳川家定に嫁いだ。斉彬は、篤姫を将軍の正妻にすることで、自らの発言力を高め、次期将軍に才気あふれる徳川慶喜を擁立し、幕政を改革しようとしていた。

 このとき、篤姫の嫁入り道具を揃える役目を斉彬より命じられたのが、後に「維新の三傑」と呼ばれた西郷隆盛だった。当時の西郷は、下級武士から特別に斉彬に取り立てられたお庭用人、つまり密使であり、篤姫が江戸城の大奥に入った後も、斉彬の密命を篤姫に届ける役目を担ったという。

 

嫁入り後に訪れる不幸の数々

 将軍の正妻となった篤姫であるが、斉彬の狙いは早くも頓挫する。篤姫が輿入れした約半年後、斉彬と共に改革を進めてきた幕府老中・阿部正弘(あべまさひろ)が急死する。そして次に老中に就任した井伊直弼(なおすけ)によって、次の将軍は斉彬が推していた慶喜ではなく、直弼が支持する徳川家茂に決まった。そして直弼は、安政5(1858)年より「安政の大獄」と呼ばれる粛清を始め、斉彬とその一派は幕府から一掃されてしまった。

 不幸は重なるもので、… 続きを読む… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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