瞑想により精神をクリアにすることで、集中力やポジティブさを高めるとされる「マインドフルネス」をご存知だろうか。アップルやグーグル、ナイキなど海外の大手企業が取り入れていると話題になり、近年は日本のビジネス界でも広く知られるようになった。

 この瞑想法のベースは、仏教の宗派のひとつ・禅宗における修行法の坐禅である。マインドフルネスとは仏教用語・サティの英訳であり、日本語では「念」と訳される。ここでいう念とは、特定の事柄に執着するのではなく、あるがままの世界に意識を留めることを指す。その過程で心が雑念に乱れることを自覚し、揺るがない心を保つことも修行の一環となる。

 禅宗が日本に渡来したのは、時代の中心が貴族から武士に移った鎌倉時代。戦場で命をやりとりする武士たちは、雑念を払って目の前の合戦に集中するため坐禅を行った。室町時代には室町幕府公認の宗派となり、武士の嗜みとして定着した。

 そして幕末、当代随一の禅の達人と評されたのが、江戸幕府の山岡鉄舟(てっしゅう)だった。鉄舟は中間管理職としての地位は決して高くなかったが、鋼の精神を備えていたことで、「敵中に乗り込む」という重大な任務を任されることになる。

 

禅も極めれば民主主義思想に行き着く

 現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」では、競泳の元五輪選手という異色の経歴を持つ俳優・藤本隆宏が、いかにも頼もしく重厚感ある鉄舟を演じているが、実際の鉄舟もそのような感じだったかもしれない。鉄舟は冒頭で触れたような禅の達人であったことに加え、「鬼鉄」と呼ばれるほどの剣の達人でもあったからだ。

 このような武芸と禅の達人に育った背景には、両親の影響が大きい。父・小野高福(たかよし)は、浅草にある幕府所有の米蔵を管理する浅草御蔵奉行という幕臣。母・磯は常陸(現・茨城県)の鹿島神宮の神職の娘である。父の勧めで9歳から剣術を学び、信心深い母を見て育ったことから、自然と神仏を敬う心が形成された。

 一家は10歳のときに高福の転勤で飛騨高山に移り住んだが、父は江戸で評判の剣術家・千葉周作の高弟として名高い井上八郎を高山まで招いて、鉄舟に稽古をつけた。13歳になった鉄舟は父から「武士たる者は形に武芸、心に禅を学ぶべき」という教訓を与えられ、さらに修練に励む。

 ところが16歳のときに母、17歳のときに父を相次いで病気で失い、江戸へ戻った。その後も修練を怠らず、20歳の頃には武蔵芝(現・埼玉県川口市)の長徳寺の高僧・願翁を禅の師、槍術家の山岡静山を武芸の師として、変わらぬ努力を重ねた。

 鉄舟は静山の質実剛健かつ情に厚い人柄に惚れ込んだが、静山は鉄舟の弟子入りからわずか1年ほどで急病を患い他界してしまう。そこで鉄舟は、静山の妹・英子(ふさこ)と結婚して婿養子となり、山岡家を継いでその姓を名乗った。

 鉄舟は23歳のとき、「宇宙と人間」という図表と思想体系を書き記している。これは鉄舟自身が考える宇宙の道理をまとめたものだが、この文中で「人間に上下や尊卑の区別などない」と断じている点は注目に値する。

 これはまさに民主主義の発想であり、武士を頂点とする厳格な身分制度が前提の幕府政権下において、かなり進歩的といえる。同僚の幕臣・勝海舟がアメリカとの通商条約である日米修好通商条約批准のための使節としてアメリカに渡り、本場の民主主義に触れたのは「宇宙と人間」が書かれた2年後だ。鉄舟が民主主義という言葉もない時期にすべての人間を平等と考えられたのは、あるがままの世界をそのまま受け入れる、禅の境地に達していたからだろう。

 

幕府に務めるサラリーマンながら、幕府に反抗→謹慎

 鉄舟はこのような思考を持っていたこともあり、江戸幕府に仕えるサラリーマンでありながら、幕府に反抗するようになる。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

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歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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