日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第29回)

転職に大成功、中間管理職・大村益次郎の悲しい最期

2018.08.24 Fri連載バックナンバー

 約3万もの提灯が幻想的に夜空を彩る「みたままつり」は、東京都千代田区の靖国神社で開催される夏の風物詩だ。靖国神社には東京の桜の標準木や秋に色づく銀杏並木などもあり、都会のオアシスとして人気である。その一方で、明治以降の戦没者を「英霊」として祀っていることに起因する「靖国問題」を抱えているのも事実。政治家の公式参拝が政教分離に反するという議論や、かつて日本と交戦した中国や韓国からの批判が絶えることはない。

 しかし靖国神社のルーツである東京招魂社が明治時代初期に建てられたときは、もちろんそんな問題はまだなかった。東京招魂社が創建された理由は、明治維新における戊辰戦争で戦死した人々の霊を慰めるためである。そして、この創建を提案したのが長州藩(現・山口県)の兵学者・大村益次郎(おおむらますじろう)だ。いわば靖国神社の生みの親であり、境内の銀杏並木には益次郎の銅像が建てられている。

 益次郎は明治政府で軍事を担当する兵部省の中心を担い、大規模な軍政改革を行って「日本陸軍の父」と呼ばれた人物である。しかし意外なことに、キャリアのスタートは医者だった。異業種からの転職組というわけだが、だからこそ生え抜きの武士にはない合理的な理系脳が重宝され、戦術や軍の編成に欠かせない人材となったのである。

 

バイト感覚ではじめた兵学が本業に

 益次郎は長州藩鋳銭司村(現・山口県山口市)の大村という地域で開業医を営む村田孝益の長男として誕生した。若い頃は村田蔵六(むらたぞうろく)と名乗っており、大村益次郎を名乗るのは後年である。

 益次郎は父同様に医者となるべく、地元や長崎、大坂などで医学および海外の医学書を読むためのオランダ語などを学んだ。勉強は得意で飲み込みが早かったといわれ、天然痘ワクチン接種を推進した緒方洪庵(おがたこうあん)が主宰する大坂の適塾(てきじゅく)では塾頭にまで進んだ。

 こうして27歳で帰郷して開業医となった益次郎だが、思わぬところで躓いてしまう。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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