大手企業の子会社による品質データ改ざんの発覚が相次いでいる。巨大グループ傘下の非鉄金属メーカー子会社では一部の製品に検査を実施していなかった事実も判明しており、波紋はさらに広がりそうだ。この報道がなされた直後、各社はもちろん親会社の株価も値を下げており、世間の不信感が強く反映される展開となった。

 不祥事を起こしたのちに業績が低迷し、最終的に倒産へと至った企業も数多い。どんなに知名度が高い製品を生産していようとも、信用を失えばビジネスは立ち行かなくなる。ビジネスは人間同士のつながりが基盤である以上、それは当然だろう。信用とは人間関係の要なのだ。

 裏を返せば、信用がある限りは失敗しても復活の目があるといえる。それを体現した戦国大名が、筑後柳川(現・福岡県柳川市)を本拠地とした立花宗茂(たちばなむねしげ)だ。優れた武芸を誇った宗茂だが、それに加えて温厚さと誠実さを兼ね備え、主君への忠義を最優先する、武士の理想像のような人物でもあった。その誠実な姿勢で、味方はもちろん敵も魅了し、血で血を洗う戦国時代を生き抜くことに成功した。

 

二人の父はともに名将

 宗茂の実父は高橋紹運(じょううん)といい、豊後(現・大分県)を中心に大勢力を擁する戦国大名・大友宗麟の重臣だった。紹運は宗茂の優れた将器を早くから感じており、嫡男として誕生した宗茂を熱心に教育した。

 そんな宗茂の将器を見込んだもう一人の人物が、紹運と同じく大友家の重臣だった立花道雪(どうせつ)である。道雪には男子がなく、暫定的に一人娘のぎん千代(ぎんちよ)を後継者としていたため、名将の素質がある宗茂を婿養子に望んだのだ。

 手塩にかけた嫡男を他家に渡すなど通常はありえないが、紹運は承諾した。なぜなら、高橋家と立花家との結束をより強固にする必要があったからだ。この頃の大友家は薩摩(現・鹿児島県)の島津家に耳川の戦いで大敗したばかりで、肥前(現・佐賀県)の龍造寺家からも弱体化した隙を狙われていた。このため敵方に寝返る大友家臣も少なくなかったが、紹運と道雪は変わらず大友家への忠誠を誓っていた。そこで宗茂は両家の橋渡し役として婿養子に入り、立花姓を得たのである。

 しかし大友家の苦境は覆らないまま、道雪は龍造寺家との戦いの最中で病没し、紹運は島津家の大軍を相手に奮戦して壮絶な討死を遂げた。名将である二人の父を相次いで失った宗茂は、二人から学んだ誠実な生き様を受け継ぎ、大友家のために戦う道を選んだ。

 

秀吉には第一に忠義を評価される

 紹運を討った島津家は龍造寺家も破り、さらに勢いを得て大友家を脅かした。紹運も道雪も失った大友家に、独力で島津家と戦う力はもはやない。そこで宗麟は、当時天下を差配する立場となっていた豊臣秀吉に臣従を誓って救援を求めた。九州平定の好機を待っていた秀吉は、ここぞとばかりに20万余の大軍を率いて九州に上陸し、瞬く間に島津家を降伏させる。

 この九州攻めで宗茂は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

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歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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