日本競馬界において勝利が長年の悲願となっているフランスG1レース・凱旋門賞が、今年も10月1日に開催される。日本調教馬のエースとして参戦するサトノダイヤモンドは、前哨戦で4着に敗れており、本番でどこまで巻き返せるか注目されている。
サトノダイヤモンドの馬主である里見治(さとみはじめ)氏は、エンターテインメント業界でトップクラスの業績を誇るセガサミーホールディングスの代表取締役会長である。現在では億単位で落札した競走馬を何頭も所有する資産家だが、かつては倒産も含む多くのピンチに直面した経歴を持つ。この会長に限らず、何度も修羅場を経験した大企業の経営者は多い。失敗や危機からの学習は、ビジネスの成功に欠かせない要素の一つである。
これは経営者とともに企業や組織を育てる中間管理職にも当てはまることだ。天下人・豊臣秀吉の政権で絶大な発言力を持った前田利家も、幾度のピンチを切り抜けている。若き日には、現在の不良に当たる「かぶき者」だった利家だが、失敗や危機の経験を生かして立ち回り、政権内で権力を得るまでに成長したのである。
信長配下時代にいきなりの失業
利家は、尾張(現・愛知県西部)荒子城(あらこじょう)城主・前田利春の4男として誕生した。家督継承の順位が低いために居候扱いをされて育ち、ひねくれて不良になったらしい。そんな利家に活躍の場を与えたのが、13歳頃に出仕した織田信長だった。信長は、家を継げず実力で出世するしかない者こそが全身全霊で戦うと考えて、嫡男以外を積極的に採用した。
槍が得意な利家は、信長が実弟の信勝と家督を争った稲生(いのう)の戦いなどで戦功を重ね、信長親衛隊・赤母衣衆(あかほろしゅう)のリーダーに抜擢されるという出世街道を進んだ。ところが、信長の寵臣・拾阿弥(じゅうあみ)に、刀剣の装飾品である笄(こうがい)を盗まれて激高し、拾阿弥を斬殺。これが信長の怒りに触れて出仕を禁じられてしまった。前年には従妹のまつを正室に迎え、これからというときにいきなり無職になったのだ。
利家が起こした事件は、処刑されてもおかしくない重罪である。上司の柴田勝家らが助命嘆願したおかげで処刑は免れたが、失業後は信長の側近時代にちやほやしてきた人間たちは一斉に離れていき、勝家らわずかな協力者の援助を受ける極貧生活に陥った。
律儀な直球アピールで上司の心をつかむ
失業した武士には、新たな主君に仕えるという選択肢もあった。しかし利家は、自分を重用してくれた信長への再出仕を希望し、そのためには自分の熱意と能力をアピールできる手柄が必要だと考えた。
そこで、出仕を禁じられているにもかかわらず、… 続きを読む