来年1月、真田幸村を題材としたNHK大河ドラマ「真田丸」がスタートします。大河ドラマで戦国時代がテーマとなったのは、2014年の「軍師官兵衛」以来2年ぶり。さらに2017年には、こちらも戦国時代をテーマとした「おんな城主 直虎」の放送が決定されています。
今や数多くのドラマやゲームのテーマとなり、英雄として描かれている武士たちですが、もともとは日陰の存在としてこの世に誕生しました。
武士の起源は平安時代まで遡ります。当時の武士は、朝廷で働く貴族たちのボディーガード役で、貴族の命令に従って働いていました。そのため戦国時代の武士に見られるような、世の中の舵を取るようなカッコいい存在ではありませんでした。
そんな武士たちを表舞台へと押し上げたのが、平清盛と源頼朝でした。「源平合戦」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、平清盛は「平氏」、源頼朝は「源氏」という、それぞれのグループを束ね、しのぎを削りながら武士の時代を作ったライバルだったのです。
しかし、最終的に「幕府」という、明治維新まで続く武士の世の中を築き上げたのは、源頼朝でした。なぜ頼朝は、現在も脚光を浴びる武士の世の中を作り出せたのか、そしてなぜ清盛にはそれができなかったのか。今回は、2012年の大河ドラマ「平清盛」でも扱われた、平清盛と源頼朝のライバル関係についてスポットを当ててみましょう。
貴族の世界で権力の頂点に立った武士・清盛の豪腕
平清盛は、平氏の全盛期を作り上げた、実にエネルギッシュなリーダーでした。
清盛が平氏のトップになってまもなく、皇位継承者をめぐる天皇と上皇との争い「保元の乱」が勃発しています。この戦いで活躍したのが、武士のなかでも2大巨頭であった平氏と源氏です。
後白河天皇側に立ち、見事勝利に導いた清盛ら武士は、戦いのなかで自分たちの存在感を見せつけ、政治において発言権を増すことになりました。なかでも清盛はその筆頭格でした。一方、多くが敵方についてしまった源氏は、勢力を弱めています。
保元の乱で功績が認められて出世した清盛のような者もいれば、ともに戦ったのに恩賞がわずかばかりだった者もいます。頼朝の父である源義朝も、清盛とともに天皇側について戦ったものの、期待通りの恩賞が貰えなかった武士のひとりでした。… 続きを読む