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いろんな転換点だった 1995年
2013.10.20

Back to 90’s~覚えてますか? あの言葉第3回

いろんな転換点だった 1995年

著者 棕澤 和宏

 いまに続くデフレの入り口だった90年代。1995年は、阪神淡路大震災、オウムサリン事件など、社会的なインパクトの大きい出来事がたくさんありました。

 

札幌・東京地区を皮切りにPHSサービス営業開始

札幌・東京地区を皮切りにPHSサービス営業開始 この年、NTTパーソナル(現NTTドコモ)、DDIポケット(現ウィルコム)、アステル各グループがPHSサービスを開始しました。個人的には通話では所持したことはないのですが、データ通信ではお世話になりました。都内ではエリアが狭いとかそんなに意識しなかったですし、32kbpsを束ねて64kとか128とかあって、速度も魅力でした。その後、PHSサービスは1997年の710万契約をピークとして、2000年にはアステル各社が精算、2008年にはドコモがサービス終了、ウィルコムも2010年に会社更生手続きと、最盛期の短さに驚かされます。ちなみにウィルコムさんは競合社がなくなり、定額制など料金メリットを打ち出して契約者を400万以上キープしているようです。
 1995年当時、携帯電話と相互通話できなかった、というのは痛いですよね。次の年から暫定接続ができるようになりますが高額でした。そして90年台後半は携帯電話の顧客獲得競争、値下げ競争のまっただ中であり、エリアが狭かったPHSはひとたまりもありませんでした。女子高生が「ピッチ」と呼んだりして、PHSは子供用、というイメージが定着したのもマイナス要因だったかもしれません。
 それにしても不思議なのは、なぜPHS事業社さんはこうした将来予想をしていなかったのか、ということ。素人の後知恵で考えても、競争力の違いは歴然。なのに各社GOサインが出たのはなぜか。そして事業停止した会社が基地局として立てたアンテナは、いまどうなっているか、とても気になります……。… 続きを読む… 続きを読む

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棕澤 和宏

棕澤 和宏

広告制作会社エコトバ 代表取締役

業界デビュー作がJ-WAVEのネーミング。以来コピーライターとして20年以上キャリアを積むが、最近はコピーライティングの知識を生かしたWEBサイトのコミュニケーションプランの提案に軸足を移しつつある。

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