力と力がぶつかり合い、血で血を洗う激闘が繰り広げられた日本の戦国時代は、ビジネスワードで表すなら「レッドオーシャン市場」といえるだろう。

 このような競争の激しい時代には、戦闘能力に秀でた「猛将」の武勇伝が多く伝わっている。そこには「競合他社」たる他の戦国大名を出し抜くような発想力やイノベーションがあったに違いない。

 本連載では戦国時代をビジネスの世界に見立て、激しい「市場」を勝ち抜いてきた猛将たちの、競合を圧倒的に凌駕する力「コア・コンピタンス」に迫る。

 第3回は、織田信長の家臣として活躍した「森長可(もりながよし)」。戦場では「人間無骨」という名の強力な槍を振るい、“鬼武蔵”と称されるほど抜群の活躍を見せた豪傑だが、実は別の一面も持っていた。そのことが、一族の未来を左右することになる。

 

本人だけでなく一族全体で出世

 1558年、信長の家臣である森可成(よしなり)の二男として生まれた長可は、戦で父と長男を失ったため、1570(元亀元)年わずか12歳で森家の家督を継いだ。

 その後、信長の命を受け各地を転戦した長可は、1582(天正10)年の甲斐国(現在の山梨県)の武田氏攻めで大きな戦功を立てると、川中島(現在の長野県北部)の4郡を与えられた。二十歳そこそこの武将としては異例の出世である。“鬼武蔵”と周囲から恐れられたのもこの頃だ。

 しかも、厚遇されたのは長可だけではなく、弟の蘭丸は信長の側近に、さらに下の弟である坊丸、力丸も信長の小姓に取り立てられている。つまり、森家にとって、信長は戦国乱世を生き抜くために最も重要な主君であった。

 ところが同年6月、悲劇が起こる。織田家重臣の明智光秀が、本能寺(京都府京都市)に滞在していた信長を襲い、自刃に追い詰めたのである。蘭丸、坊丸、力丸の3兄弟も討死。一方の長可は、信濃国(現在の長野県)の土豪たちの反乱に遭い、光秀討伐に馳せ参じられなかった。

 

決死の白装束

 天下統一を目前に控えた信長が死に、その後釜に座ったのは、織田家重臣で光秀討伐を果たした羽柴(豊臣)秀吉であった。秀吉は、織田家筆頭家臣であった柴田勝家を滅ぼすと、信長の次男である信雄と戦うことになる(小牧・長久手の戦い)。信雄は、信長の同盟者であった徳川家康を伴って、秀吉の威勢に対抗したのだ。

 父の代から織田家に仕えてきた長可だが、この戦いでは信雄方ではなく、秀吉方に加勢する。その背景には、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

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歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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