2018.08.27 Mon

 2018年6月30日、第42回世界遺産委員会において「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録が決定。国内の世界遺産は、これで22件(文化遺産18・自然遺産4)となった。

 もともと長崎県、熊本県の天草地方では、戦国時代~江戸時代初期に長期にわたって宣教師が滞在しており、多くのキリシタン(キリスト教徒)が誕生していた。そのため、キリスト教が禁じられていた約200年の禁教期のあいだも、密かに信仰が続いていた。

 政府は当初、同地区における教会群そのものの登録を目指していたが、ユネスコの諮問機関・イコモスの「禁教期に焦点をあてるべき」という指摘を受け、遺産名を「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と変更。このたびの登録に至ったのである。

 しかし、「潜伏キリシタン」という言葉に耳馴染みがない人も多いかもしれない。これは、日本史で学んだ「隠れキリシタン」とは、何がどう違うのか? そして、なぜイコモスは“潜伏キリシタン”に焦点を当てることを進言したのか? 同地区の世界遺産を紹介しながら、その謎を紐解いていく。

 

「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は何が違う?

 「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は、いずれも江戸幕府によって禁教令が発令された江戸時代初期から、明治政府が禁教を解いた1873年までの間、密かにキリスト教を信仰し続けた信者のことを指す。

 ただ学術的な観点では、両者には違いがある。「潜伏キリシタン」は禁教中は仏教を信仰しているように振る舞いつつ、密かにキリスト教の信仰を続けていた信者のことを指し、「隠れキリシタン」は、禁教が解除された後、隠す必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守る信者を指す。後者は “カクレキリシタン”とカタカナで表記されることが多い。

 そのため、今回の世界遺産の登録対象は、基本的に江戸時代の禁教期における信仰形態や風土に限られている。

 

なぜキリスト教は弾圧されたのか?

  しかし、なぜイコモスは、政府に対し「禁教期に焦点をあてるべき」というアドバイスをしたのだろうか? その謎を解くためには、日本にキリスト教を伝えたカトリックの宣教師、フランシスコ・ザビエルまで話を遡る必要がある。

 江戸幕府が開府される前の16世紀中期、日本では各地の戦国大名が領地を奪い合う戦国時代、欧州では世界中の大陸を目指す大航海時代を迎えていた。この時、ドイツ・オランダ地方では、キリスト教の新宗派「プロテスタント」が生まれ、急成長を遂げていた。旧宗派であるカトリックの覇権を握っていたスペインとポルトガルは、プロテスタントに対抗するため世界での布教を活発化。ザビエルは国王の命でインドのゴアからマラッカへ渡ると、そこでアンジロー(ヤジロー)という日本人に出会い、彼の案内で1549年、薩摩(鹿児島県)に上陸した。

 ザビエルは、朝廷から布教の許可を得るため京都を目指すが、その途上で平戸(現在の長崎県平戸市)に立ち寄る。領主の大村純忠(おおむらすみただ)はザビエルの影響を受け、日本初のキリシタン大名となり、ポルトガル船が出入りする横瀬浦や長崎港を整備。さらに、家臣や民衆にまで改宗を強制した。これに加えて、有馬晴信、小西行長らの大名もキリスト教に改宗、長崎・天草地方の大半があっという間にキリシタンとなった。

 ところが、豊臣秀吉の九州平定を機に風向きが変わる。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

関連キーワード