NHK大河ドラマ「西郷どん」で躍動する幕末志士たち。そんな彼らの「散り際」を紹介している本連載、今回は倒幕派の旗手となった長州藩(現在の山口県)を代表する存在の吉田松陰(よしだしょういん)を取り上げたい。

 いわゆる「志士」の先駆けとして名高い松陰だが、その生涯はわずか29年だった。なぜ彼は、かくも若き命を散らす羽目になったのだろうか。

 

11歳にして藩主に学問を説く

 江戸時代も200年が過ぎ、幕末の足音が聞こえ始めた天保11年(1840)、ひとりの少年が長州の萩城に入った。吉田寅次郎(のちの松陰)、このとき11歳。生まれは貧しい武家であったが、幼くして藩校・明倫館の兵学師範を務め、城下では神童ぶりで評判だった。藩主・毛利敬親(たかちか)に対して兵学の講義を行なうため、御前に呼ばれたのである。

 敬親は日ごろから「儒者の講義は、ありきたりの言葉ばかりが多く眠気を催す」と思っていた。ところが目の前にいる寅次郎少年は、藩主を前にしても実に堂々としていた。その熱のこもった語りに引きつけられ、膝を乗り出して聞き入ったという。

「以後、毎年城に来るように」と、敬親のお墨付きを得た寅次郎は、城下でさらに注目を浴びる存在となった。それから10年後の嘉永3年(1850)、数えで21歳になった寅次郎(以下、松陰)は、藩から軍学稽古の名目で許しを得ると、九州遊学に出て見聞を広めた。

 次いで江戸にも出た松陰であったが、藩からの許しを得る前に東北旅行を敢行したため、「脱藩の重罪を犯した」として罰せられてしまった。だが、これで終わらないのが松陰。彼の才能に惚れ込む藩主以下、長州首脳陣は、… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、紀行家

日本史・三国志を題材に各種雑誌やウェブに連載記事多数。歴史取材の傍ら、城や温泉に立ち寄ることが至上の喜び。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄書房)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)。神奈川県横浜市出身。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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