今やプロを負かすほどの強さを備えた「将棋AI」。その研究は1970年代にスタートしたが、当初は1局を指すのに2カ月もかかるほどで、強い/弱いどころの状況ではなかったという。

 そんな将棋AIが、なぜ強くなったのか。前回に引き続き、公立はこだて未来大学の松原仁教授が語る。


 

「森田将棋」が変えたもの

 コンピュータは1970年代までは大学や企業などにしか置いてなかったが、1980年代になってパソコンが登場して家庭にコンピュータが普及するようになった。大学や企業ではコンピュータの用途は研究や仕事であったが、家庭では遊びの用途が大きな部分を占めることになる。パソコンで遊ぶための一つとして将棋AIの開発が盛んになった。

 初期の将棋AIとして最も有名なのが「森田将棋」である。これは自身も将棋が強い森田和郎さんが開発したもので、1985年に市販が開始された(1980年代初めから他の将棋AIが市販されていた)。

 それまでの将棋AIがとても弱かったのに対して、森田将棋は数十手先を読むような深い思考はできないものの、3手先5手先まで先読みをしてある程度の強さが実現できるようになり、パソコンの普及とともにベストセラーになった。彼が自分の名前をプログラム名につけたので、その後の将棋AIは名前をつけることが流行した。その例として柿木将棋、山下将棋システム(YSS)、金沢将棋などがあげられる。

 1986年には将棋AIの関係者が「将棋プログラムの会」を設立し、それが1987年に「コンピュータ将棋協会」と名称変更した。コンピュータ将棋協会は1990年から毎年コンピュータ将棋選手権を実施している。森田将棋以降は極(金沢将棋)、YSS、IS将棋、激指などが選手権で優勝して市販された。将棋AIがアマ有段者レベルになったのは1990年代半ばである。市販の将棋AIがよく売れていたのは1980年代半ばから1990年代までで、この時期は毎年のように新バージョンが発売されていた(2000年代後半以降は将棋AIが多くの将棋ファンより強くなって売れなくなってしまった)。

 

将棋AIのむずかしさ

 前項で取り上げた通り、1990年代の将棋AIはアマ有段レベル止まりだった。しかし、チェスAIは同じ頃、チェスの世界チャンピオンに勝利している。なぜ、チェスにできて将棋はできなかったのか。その大きな理由のひとつに、… 続きを読む

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松原仁

松原仁

公立はこだて未来大学副理事長兼システム情報科学部教授

株式会社未来シェア社長。人工知能、ゲーム情報学、知的交通システムなどの研究に従事。編著書に「将棋とコンピュータ」、「コンピュータ将棋の進歩」、「先を読む頭脳」など。前人工知能学会会長。将棋アマ5段。

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