2018年1月7日、秩父宮ラグビー場にて行われた大学ラグビー選手権大会において、帝京大学は明治大学を21-20での僅差で破り、「史上初」となる9連覇の金字塔を打ち立てた。帝京大は2017年の関東大学ラグビーの対抗戦でも、全勝優勝の偉業を成し遂げている。

 同校ラグビー部は、1996年より岩出雅之氏が監督を務め続けている。しかし、就任当時は弱小チームで、「負け犬体質」を打破しようと必死に練習したが、強豪にのし上がるどころか、低迷の一途をたどるばかりだった。

 そうした現実を目の当たりにした岩出は、“ある改革”をチーム内で進めていった。

 

「連覇をすること」は、「優勝すること」以上に難しい

 「強いチームが当たり前のように勝つ」ことは、勝負の世界において非常に難しい。プロ野球で例えると、1993年にフリー・エージェント(FA)制度が発足されると、巨人の長嶋茂雄監督(当時)は、落合博満(94年)、広澤克実、川口和久(いずれも95年)、河野博文(96年)、清原和博(97年)、工藤公康、江藤智(いずれも2000年)と、各球団の主力選手をFAで獲得した。だが、94年から長嶋が巨人の監督を退任した2001年までの8年間で、巨人のリーグ優勝は3回、日本一は2回だけだった。

 かつて監督として南海、ヤクルト、阪神、楽天を率いた野村克也氏にインタビューした際、「優勝するのは難しい。だが連覇はもっと難しい」と言っていた。優勝した翌年は監督だけでなく、選手もどこか緩みがちになるし、相手チームだって前年の借りを返そうと執拗にマークしてくる。それゆえ前年とは打って変わって、主力選手が機能せずに連敗を繰り返し、チーム成績が低迷するなんていうことはよくある話だ。

 だが、アマチュアスポーツ、とりわけ大学ラグビーの世界において、そうした常識を覆した指導者がいる。冒頭で触れた、帝京大学ラグビー部の岩出雅之監督だ。

 岩出が同大学ラグビー部の監督に就任したのは、今から21年前の1996(平成8)年。就任当初の大学ラグビー界は、関東学院大学と明治大学が牽引していた。一方の帝京大学は優勝はおろか、岩出の就任2年目となった98年には部員の不祥事によって、1年間公式戦を辞退することになる。

 岩出の出身大学は日本体育大学。当時の大学ラグビー、というよりも運動部全体にいえることだが、先輩、後輩の上下関係が厳しく、先輩の言うことは絶対服従、先輩が「カラスの色は白」と言えばそれに従うような縦社会だった。岩出が就任した当時の帝京大だって、そんな上下関係がはびこっていたに違いない。

 さらに岩出自身も現役時代に経験した猛練習を選手たちに課した。「これだけ練習をやったんだから、勝てないわけがない」――だが、「勝てない」という現実が、帝京大フィフティーンに残酷なまでに突きつけた。「ひょっとしたら、これまで指導してきたやり方は間違っていたんじゃないか」。岩出はそう考え、“ある改革”を推進していくことになる。

 

「このままではいつになっても勝てない」

 岩出のラグビー指導者としてのキャリアは、他のラグビー指導者と比較すると、いささか異質かもしれない。生まれ過ごした和歌山の少年時代はソフトボールと野球に没頭し、県立新宮高校に進学後に初めてラグビーボールに触れた。日体大に進学した後は、3年からフランカー(スクラムの側面のポジション)としてレギュラーで活躍。大学を卒業した後は、高校ラグビーの指導者として花園で勝負したいと考え、滋賀県の教員採用試験を受けて合格した。

 だが、待っていたのは、思いもよらない現実だった。… 続きを読む

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小山宣宏

小山宣宏

スポーツジャーナリスト

1973年千葉県出身。出版社、編集プロダクション勤務を経て、2007年に独立。近年は高校野球やプロ野球を中心とした取材・原稿が多い。『実は大したことない大リーグ』(江本孟紀/双葉社)、『日本人投手がメジャーで故障する理由』(小宮山悟/双葉社)、『名将の条件』(野村克也/SBクリエイティブ)、『3000安打の向こう側』(松井稼頭央/ベースボール・マガジン社)などの書籍を手掛ける。

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