1月12日に行われたラグビー・大学選手権で、明治大学が天理大学を破り、優勝を遂げた。田中澄憲監督(以下田中)は、選手たちの負け犬根性を払しょくすべく「意識改革」に取り組んだが、一体どのような方法で変えたのだろうか。

 

「人材の墓場」とまで言われた、近年の明大ラグビー部

 優勝が決まった直後、126人の部員がグラウンドに一斉に飛び出し、2万人を超えたスタンドから紫紺の小旗が大量に舞った。22年ぶりの覇権奪回。場内に響く明治の校歌。優勝監督インタビューでは、「決して平坦な道のりではなかった」と、田中は振り返る。

 もともと明大は、ラグビーの名門だった。1972年に初めて大学選手権を制覇して以来、24年間で12回王座の地位に座った。67年間、明大の監督を務めた名将・北島忠治監督は、選手たちに重量級フォワードがトライを目指す「前へ」の精神を教えた。

 しかし1995年に北島監督が亡くなって以降、22年間、一度も王座に返り咲くことはなく、成績は低迷。素質の高い選手はいても、優勝に手が届かないうえ、思うように選手が育たない。近年は「人材の墓場」とまで揶揄されていた。

 そうしたなか、96年の明治最後の日本一を経験した田中に、チームの再建が託された。

 

エディーから学んだ「指導者論」を母校の指導に生かす

 田中は報徳学園卒業後の1994年、明大に入学した。164センチ、65キロと小柄ながら、高校時代では日本代表に選ばれるほどの卓越したセンスと努力で、レギュラーの座をつかんだ。大学に入学後、3年のときには大学選手権で優勝。4年のときには主将も経験し、卒業後はサントリー(現社会人トップリーグのサントリー・サンゴリアス)に入社した。

 7人制ラグビーの日本代表にも2度選ばれ、2011年に現役を引退。2017年に明大に戻って1年間ヘッドコーチを務めた直後、監督に就任した。

 高校、大学、社会人のすべてで日本代表を務める華やかなキャリアがある一方、田中の指導者としての能力を磨き上げたのは、サントリー時代の監督だったエディー・ジョーンズだった。言うまでもなく、2012年から15年まで日本代表のヘッドコーチを務め、2015年のワールドカップで、あの南アフリカから日本代表が大金星を挙げたときのヘッドコーチである。当時のエディーは、サントリーのヘッドコーチとして、外国人指導者として初めてリーグ制覇を達成した人物として、ラグビーファンには有名な存在だった。

 そのエディーが指導者として信条にしていたことが2つある。

 1つは、「チームの規律を重んじ、生活のなかで正しいことをすること」。つまり、規則正しい生活をすることで選手のパフォーマンスは上がっていくものだと考えていた。

 もう1つは… 続きを読む

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小山宣宏

小山宣宏

スポーツジャーナリスト

1973年千葉県出身。出版社、編集プロダクション勤務を経て、2007年に独立。近年は高校野球やプロ野球を中心とした取材・原稿が多い。『実は大したことない大リーグ』(江本孟紀/双葉社)、『日本人投手がメジャーで故障する理由』(小宮山悟/双葉社)、『名将の条件』(野村克也/SBクリエイティブ)、『3000安打の向こう側』(松井稼頭央/ベースボール・マガジン社)などの書籍を手掛ける。

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