ワールドカップのロシア大会で日本中を熱狂の渦に巻き込んだ「西野ジャパン」。ヴァイッド・ハリルホジッチ前代表監督の解任を受けて、大会開幕直前の4月9日に指揮官へ就任した西野朗監督は、限られた時間のなかでどうチームをマネジメントしていったのか。その秘策について紐解いていく。

 

「チームとして危機感はない」と言い切る

 日本のワールドカップ史上初となるベスト8の夢は、「本気になったベルギー」に無残にも打ち砕かれた。

 FIFAランキング61位と3位。この数字だけを見れば、「勝てっこない」と尻込みしたっておかしくない。だが、実際には対等以上に渡り合えた。

 今から約3ヵ月前、日本代表は試合で芳しい結果を残せず、最終的に日本サッカー協会はヴァイッド・ハリルホジッチ(以下ハリル)前監督の解任へ踏み切った。

 後任監督に選ばれた西野は、それまで同協会の技術委員長としてハリルジャパンを裏から支えていたが、急遽役回りが代わり、火中の栗を拾いに行くことになった。

 就任当初は苦難が続き、指揮官はコロンビアとのグループリーグ初戦までに行なわれた3試合のテストマッチ(5月30日のガーナ戦、6月8日のスイス戦、同12日のパラグアイ戦)に関して、ベストメンバーを選ぶための場としたが、ガーナ、スイスとの試合はいずれも0対2の完封負け。西野は守備面の手ごたえを口にするも、得点力不足は解消されなかった。

「危機感はあるのか」――。

 会見に臨んだ西野に記者から辛辣な質問が突きつけられた。記者ならずとも、日本中のサッカーファン全員が抱いた不安に違いない。

 それでも西野は語気を強めてこう答えた。

「なぜネガティブにならなければならないのか。チャレンジを前向きにとらえられる状況。チームとして危機感はまったく感じてはいません」

 ここまで断言できたことに驚いた人は多かったに違いない。なぜ西野はポジティブでいられたのか。

 

バラバラになった日本代表を1つにするための方策

 話は2ヵ月前までさかのぼる。

「西野ジャパン」が船出したのは4月12日。ワールドカップ本大会までの準備期間が短いなか、スタッフをすべて日本人で固めた体制で、危機的状況を乗り越えようと躍起になった。

 前任のハリルは、「自らの指示を絶対に従わせる」「選手間のミーティングは認めない」、つまり周囲の意見にまったく耳を貸そうとしなかった。挙げ句、「代表に呼ばれても来たくない」と言い出す選手までいた。

 これでは戦う前にワールドカップは終わってしまう――。

 そう感じた日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、「1%でも2%でも勝てる可能性を上げたい」と「監督交代」へと舵を切り、西野にその任を託した。

 本大会に入る前、西野が監督として着手しなければならないことは、

「勝つための最終メンバーを選ぶこと」
「選手からの信頼を得ること」
「勝つための戦術を施すこと」

 この3つだった。

 そのために西野は4月下旬からヨーロッパに渡り、およそ2週間で11選手と会った。日本代表としてどんな戦略をもって戦おうとしているのか、そのために必要な選手のコンディションはどんな状態にあるのか。限られた時間のなかでできる限りのことを把握しようと努めた。

 日本代表の最終メンバーが発表された5月31日、ハリルが指揮官だったらおそらく呼ばれなかったであろう選手の名前が読み上げられた。… 続きを読む

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小山宣宏

小山宣宏

スポーツジャーナリスト

1973年千葉県出身。出版社、編集プロダクション勤務を経て、2007年に独立。近年は高校野球やプロ野球を中心とした取材・原稿が多い。『実は大したことない大リーグ』(江本孟紀/双葉社)、『日本人投手がメジャーで故障する理由』(小宮山悟/双葉社)、『名将の条件』(野村克也/SBクリエイティブ)、『3000安打の向こう側』(松井稼頭央/ベースボール・マガジン社)などの書籍を手掛ける。

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