11月4日、福岡ソフトバンクホークスは、横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズを制し、日本一に輝いた。
日本のプロ野球史上5位となる、レギュラーシーズン94勝を挙げたパ・リーグの王者は、日本シリーズでは3連勝で王手をかけたものの、セ・リーグ3位のDeNAに対し、まさかの2連敗を喫した。
「大差で負けてはいない。いいゲームはできている」
監督の工藤公康は、ナインの奮闘を最後まで信じた。優勝を決めた第6戦では、劣勢だった第6戦の9回に同点に追いつき、延長11回には劇的なサヨナラ勝ちで、DeNAの下剋上を許さなかった。
今シーズンの工藤は、圧倒的ゲーム差を逆転されてリーグ優勝を逃した昨年から、選手の指導法をガラリと変えて今季シーズンに挑んだ。彼が実践した、部下(選手)への「アメ」と「ムチ」の指導法とは、どのようなものだったのだろうか。
「チームのために自分はなにができるか」
工藤は現役時代に14回のリーグ優勝、11回の日本一を経験した名選手であるが、身長176㎝、腕も短く、ひじも曲がったままで、プロ野球選手としては決して体格的に恵まれているとはいえなかった。そんな工藤が、40代後半までプロの第一線で投げ続けることができたのは、誰よりも厳しいトレーニングと節制に励んでいたからにほかならない。
さらにプロ入りから13年間在籍した西武ライオンズで8度の日本一に輝いたことも大きかった。「チームのために自分は何をすべきか」。その判断は、最終的にはチームから与えられるものではなく、一人ひとりの判断に委ねられていることを学んだ。
しかし、95年に福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークスにフリーエージェント権を行使して移籍したときには、負け犬体質がこびりついたチームの雰囲気に唖然とした。「監督やコーチに媚びを売って一軍に上がりさえすれば活躍できるだろう。そのためには嫌われないようにしなくては」――。そんなことを考えている若い選手が多くいた。これではチームは、優勝はおろか、優勝争いに加わることさえできない。
工藤はチームメイトから嫌われることを怖がらずに、若い選手たちにきつい言葉をかけた。ミスをしたときに慰めてばかりいると、失敗に慣れきってしまう。たった一人の甘えた感情にチーム全体が汚染されると、取り返しがつかなくなる。そのことを危惧し、若い選手たちに戦う精神を宿そうと腐心する日々を送った結果、1999年にパ・リーグ優勝、そして日本一の栄冠を勝ち取った。
厳しいばかりの指導では選手がついてこない
2011年に現役を引退してから3年後の14年秋、工藤は福岡ソフトバンクホークスの監督に就任した。この年、チームは日本一となり、主力選手が軒並み全盛期を迎え、黄金時代が到来していた。就任1年目の15年はシーズン前の予想通りレギュラーシーズン、そして日本シリーズを勝ってV2が確定。「誰が監督をやっても勝てるだけの戦力が整っている」、そう揶揄する者もいた。
そして2年目の昨年、16年シーズンも、7月までは2位の日本ハムに11.5ゲーム差をつけていたが、最終盤でひっくり返されてリーグ3連覇を逃し、同じ日本ハムとのCS最終ステージでも敗退した。シーズン中は勝ちたい思いが強すぎるあまり、専門外である打撃を熱血指導。そんな指揮官の姿を冷ややかな目で見つめる選手の姿もあった。
自らの現役時代のように厳しく指導しているだけでは、選手たちはついて来ない。オフのパーティーの席で工藤自ら「監督が悪い」と口にした。チームを一つにまとめられなかったことを反省し、今季は選手たちの指導法をがらりと変えた。いわゆる「アメとムチ」を使い分ける作戦である。
高いハードルを課し、乗り越えた選手には惜しみない賞賛を
まずはムチ。リーグ優勝を逃した2016年の秋季キャンプでは、徹底的に選手をしごいた。全体練習で何人倒れようが、工藤は涼しい顔をしたまま。昨年に優勝を逃した最大の要因は、投打の中心となるべき主力選手たちが次々と戦線離脱し、安定した戦いができなかったから。だからこそ、「体力と筋力の向上」をテーマに掲げ、質より量の練習にこだわった。
そしてこのキャンプで飛躍を遂げたのが、… 続きを読む