日本史、伝説を生んだカリスマの魅力(第4回)

水戸黄門:本当は全国を旅しなかった庶民の味方

2017.11.25 Sat連載バックナンバー

 約6年ぶりの復活で話題となった時代劇ドラマ「水戸黄門」は、1969年から始まった国民的人気長寿番組だ。これまで黄門役の俳優を幾度か変更しながら今日まで続いてきた。新シリーズでは武田鉄矢が水戸黄門役を務める。

 お馴染みの「水戸黄門」の筋書きはこうだ。助さん格さんという若侍を従えて諸国を漫遊する隠居老人は、行く先々で悪代官や悪徳商人に苦しめられる庶民と出会う。彼らを救うべく、老人は悪人どもの不正をただし、懲らしめる。ドラマ終盤では格さんの決め台詞が飛び出す。

 「この方をどなたと心得る。恐れ多くも前(さき)の副将軍、水戸光圀(みとみつくに)公であらせられるぞ」

 善良な庶民を救うことで事件は解決し、黄門さまは再び旅に出る……。

 水戸黄門とは、「権中納言(ごんちゅうなごん)」という官名の中国風の呼び方が「黄門」であることが由来となっており、すなわち水戸藩主の中納言であることを指している。歴代11人の水戸藩主のうち、権中納言に任じられたのは7人。つまり、水戸黄門は7人存在していることになる。が、今では先述のドラマの影響により、最も有名な水戸藩二代藩主・徳川光圀の代名詞となった。

 

決して虚像ではない水戸黄門の真実の姿

 実在した人物を主人公に据えた物語とはいえ、ドラマ「水戸黄門」が史実に基づいているわけではない。何しろ、実際に光圀が旅をしたのは諸国どころか、鎌倉と常陸国(現在の茨城県)、江戸といった限られた地域でしかないのだ。

 光圀は、初代水戸藩主・徳川頼房(よりふさ)の子として生まれた。頼房は徳川家康の十一男。つまり、光圀は家康の孫にあたる。そのような身分ある光圀でも、当時は老中の許可なく他藩に出入りすることは切腹に値する大罪だったため、ドラマのように自由きままに旅することは許されなかったのである。

 それでは、ドラマで描かれるような、庶民を救う名君像としての光圀は虚構なのかといわれれば、そうとはいいがたい。… 続きを読む

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小野 雅彦

小野 雅彦

フリーライター

歴史時代作家クラブ会員。雑誌やムックなど、戦国時代や幕末などの日本史にまつわる記事を中心に執筆。地方に埋もれた歴史や人、事件などについて取材を続けるほか、東日本大震災以降は原発関連の記事なども手掛けている。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)がある。秋田県秋田市出身。

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