日本史、伝説を生んだカリスマの魅力(第2回)

猿飛佐助:最後までリーダーに従った「理想の部下」

2017.07.21 Fri連載バックナンバー

 歴史上の人物のなかには、本当に存在していたのか疑わしく、謎に満ちた生涯を送った者が少なくない。しかし、存在がはっきりしないにも関わらず、現在まで語り継がれるというのは、その人物に相当な魅力がなければできないことである。

 この連載では、実在すら疑われる一方で、今もなお人々に愛される、歴史上のカリスマたちの実像に迫る。

 第2回は、真田幸村(信繁)の家臣として、あるいは忍者として広く知られる猿飛佐助を紹介する。

 

真田十勇士筆頭の頼れる忍者

 観光庁による2017年度の「テーマ別観光による地方誘客事業」の支援先の一つとして“忍者”が選ばれ、最近では和田竜氏の小説「忍びの国」が映画化されるなど、忍者は安定した人気を持った歴史コンテンツである。

 映画やドラマ、アニメ作品などに描かれる忍者の多くは、印を結んで何やら呪文のようなものを唱えると、パッと姿を消したり、空中をふらふらと浮かんだりと、奇想天外な術を用いて敵を翻弄し、なぎ倒していく。

 「忍者」と聞いて思い浮かべる名前やキャラクターはいくつかあるだろう。そのなかでも、知名度の高いひとりに猿飛佐助がいる。

 猿飛佐助は、1614(慶長19)年に勃発した、徳川家と豊臣家による合戦・大坂の陣で活躍した真田幸村(信繁)の家臣として知られている。

 講談などで知られている物語は次のとおりである。幸村には常に付き従う10名の有能な家臣がおり、彼らは総称して「真田十勇士」と呼ばれた。十勇士のなかでも筆頭に挙げられる忍者が佐助だ。扱うのは甲賀流忍術。信濃(現在の長野県)の鳥居峠にて、忍術の達人である戸沢白雲斎(とざわ・はくうんさい)による厳しい修業を受け、その奥義を極めたという。

 豊臣家に仕える幸村は、宿敵である徳川家康を討つべく、徳川家の情報を集めたり、佐助のような強くて忠実な仲間を増やしながら諸国を旅した。そうして迎えた大坂の陣では、佐助ら十勇士は幸村とともに戦場を駆け巡り、徳川軍を圧倒する。しかし、あえなく敗北。戦後、佐助は幸村とともに豊臣家当主の秀頼を守りながら、薩摩(現在の鹿児島県)へと落ち延びていった。

 以上が佐助にまつわる物語だが、残念ながらこれらは史実ではない。猿飛佐助とは架空の人物である。

 

脇役から転じてスーパーヒーローに 

 佐助というキャラクターが一般に広く知れ渡ったのは、明治末期から大正年代のことである。 

 この頃の人々の娯楽のひとつに、江戸時代から続く「講談(こうだん)」があった。軍記や武勇伝などに調子をつけて語り聞かせる話芸である。

 そんな講談という文化は、… 続きを読む

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小野 雅彦

小野 雅彦

フリーライター

歴史時代作家クラブ会員。雑誌やムックなど、戦国時代や幕末などの日本史にまつわる記事を中心に執筆。地方に埋もれた歴史や人、事件などについて取材を続けるほか、東日本大震災以降は原発関連の記事なども手掛けている。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)がある。秋田県秋田市出身。

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