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イケメン&ナルシストな哲学者「何晏」絶頂から転落までの人生劇場
2019.07.27

上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」第69回

イケメン&ナルシストな哲学者「何晏」絶頂から転落までの人生劇場

著者 上永 哲矢

 三国志には個性的な人物が数多く登場するが、「個性的」という点では、この何晏(かあん)も、相当に飛び抜けた男だった。まるで劇場で演じられるかのような、波乱に満ちた生涯をたどってみたい。

 

食肉業者の孫が、曹操に救われる

 前回は、食肉業者から大将軍まで昇進するも、哀れな末路を遂げた何進(かしん)を紹介した。何晏はその孫にあたる人物だ。

 宦官たちに殺された何進には、尹氏(いんし)という妻がいた。未亡人となった彼女を引き取り、側室として面倒をみたのが、誰あろう曹操だった。尹氏には、すでに何進との間にもうけた子(名前不詳)がおり、その子が成人し、また子が生まれた。それが何晏である。

 曹操は、何晏を養子に迎え、実の子のように可愛がって育てた。何晏が成人すると、自分の娘・金郷公主(きんごうこうしゅ)を娶らせたほどである。

 何晏と尹氏だけでなく、曹操は戦乱で未亡人となった女性をよく引き取ったようだ。たとえ前夫との間に子がいた場合でも、その子を厚遇して可愛がった。同時期、呂布の部下であった秦宜禄(しんぎろく)の未亡人・杜氏(とし)という女性を側室にし、その子供・秦朗(しんろう)も養子に迎えている。

 秦朗と何晏は、どちらも曹操のもとで育ったが、性格は正反対。秦朗は地味で慎ましい性格だったのに対し、何晏は才気煥発で図太い性格。しかも美男子であったらしい。

 

化粧好き、麻薬も好きな何晏を、なぜ曹操は評価したのか?

 何晏は化粧を好んだ。白粉(おしろい)を愛用し、肌が極めて白く見えたと伝わっている。

 曹叡(そうえい/曹操の孫)は、何晏の素肌を見てみたいと思い、真夏に湯餅(たんぴん=うどんのような麺)を一緒に食べた。大汗をかいた顔を拭えば素肌が現れるからだ。しかし、拭った何晏の顔は、白粉よりもさらに白かった。曹叡は驚くよりほかなかっただろう。

 何晏はそんな自分が好きで、いつも容姿を気にかけ、自分の影をふり返りながら眺め歩くほどだった。今でいう「ナルシスト」であろう。服装も派手に着飾り、太子同様の身なりをしていたという。

 よって、本当の太子であった曹丕(曹操の嫡男)は何晏を嫌い、彼の名前すら呼ばない。いつも「養子」と蔑んだ。反対に、おとなしい秦朗は寵愛された。曹丕の子・曹叡も、秦朗を「阿蘇」と幼名で呼び、常に側に随行させて大豪邸まで建ててやった。しかし、何晏にはそういうことはしていない。

 何晏は素行も悪かった。よく「五石散」と呼ばれる薬を服用していた。これは一種の麻薬である。服用すると皮膚が敏感になって、体に熱がこもり温まってくる。熱が内にこもったままだと中毒を起こして死ぬとされたため、服用者は絶えず歩き回った。これが「散歩」の語源になったとされる。

 そんな何晏が、なぜ曹操にだけは愛されたのか。それは曹操が… 続きを読む… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史著述家・紀行作家。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、各種雑誌やWEBサイトに寄稿、連載を持つ。全国各地の史跡を取材し、城や温泉にも造詣が深い。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。神奈川県出身。

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