三国志の世界には、さまざまな英雄が登場する。その多くは、前回取り上げた韓当(かんとう)のように、長い下積み生活から出世を遂げた人物である。しかし中には、特に苦労もせず、いきなりトップの座へと駆け上がった人物もいる。
今回取り上げる何進(かしん)も、突然トップに躍進したタイプである。しかも、食肉業者から将軍へ登り詰めるという大出世だ。なぜ彼はそんな出世ができたのか?そして、リーダーとしてちゃんと振る舞えたのだろうか?
妹が皇后となり、人生が一変
時は霊帝(れいてい)の治世、後漢王室が衰退への道を辿っていたころ、ひとりの女性が後宮へ入った。彼女の名は「何氏(かし)」。荊州の食肉業者、何氏の出身であることから、彼女も実家の姓をとって何氏と呼ばれる。後宮へ入った何氏は長身で気が強かったが、霊帝に気に入られ、まもなく男の子を産んだ。のちの少帝・劉弁(りゅうべん)である。
一介の食肉業者の娘が、なぜ後宮へ入れたのか。それは同郷出身の宦官・郭勝(かくしょう)のコネがあったという。相当に賄賂も積んだのだろう。
それと同時に、何氏の兄である何進も、朝廷への出仕が許された。昨日まで豚や羊をさばいたり、仕入れをしていた食肉会社の経営者が、ある日から高級官僚になったのだ。まことに人生は何が起こるかわからない。
皇帝の子・劉弁を産んだ何氏は、やがて皇后に立てられたため「何皇后」と呼ばれる。何進も首都・洛陽に招かれ、皇帝直属の武官として宮殿を闊歩するようになった。一体どんな気分であっただろうか。
いきなり大将軍となり、大仕事をやってのける
そんな折、天下を揺るがす「黄巾の乱」が起きた。民を省みない賄賂政治が横行するばかりの後漢政府に対し、民衆たちが武装蜂起したのである。
後漢政府も、これに立ち向かわなければいけない。当時、朝廷を牛耳っていたのは十常侍(じゅうじょうじ)と呼ばれる上級宦官たちであった。だが、彼らには軍隊の指揮などできなかった。そこで、軍の指揮をとる「大将軍」に任命されたのが、誰あろう何進であった。
大将軍は、天下の官軍すべてに命令できる権限を持つ要職である。つい最近まで市井の側にいた人物に、そのような大任が務まるのか・・・・・・。心配の声も上がっただろう。
ところが、何進は… 続きを読む