歴史上の人物も、ひとりの人間。彼らにも当然、「家族」がいた。しかし、その奥さんや娘などの女性が歴史の表舞台に出てくることは、それほど多くない。女性の多くは、生没年や年齢が分からない、名前も残っていないことがほとんどだ。家系図などを見ても、単に「女」と書いてあったりする。

 三国志の時代も同様で、女性は通常、実家の姓のまま呼ばれることが多い。たとえば、劉備の妻の甘(かん)夫人や孫(そん)夫人などがいるが、彼女たちは甘氏や孫氏から嫁いできたから。曹操の妻・丁(てい)夫人や卞(べん)夫人も同じ。孫策と周瑜に嫁いだ、大喬と小喬は「喬家の姉と妹」という程度の意味である。

 そんな時代背景にあって、三国志を代表する名将・司馬懿の妻である張春華(ちょうしゅんか)という女性は、名前と生没年(189~247年)の両方が歴史書(『晋書』=しんじょ)に残る、きわめて稀な存在だ。

 

一家の大事に、春華がとった恐るべき行動

 張春華は張汪(ちょうおう)という役人の娘として生まれ、春華と名付けられた。両親とも名家の出身であり、幼いころから英才教育を受けた。常人に勝る知識を持つ、学のある女性に育ったという。

 そんな彼女が、いつごろ司馬懿に嫁いだのかは分からないが、かなり若いころだったようだ。年齢は司馬懿が10歳年上だった。才人同士の似たもの夫婦といったところか。

 春華が嫁いだのち、司馬懿は河内郡(河南省の北部・焦作市)から出ることなく、過ごしていた。西暦200年代前半、彼は曹操から「わしに仕えよ」とスカウトを受けたが、病気を理由に固辞した。曹操からはたびたび使者が送られてきたが、司馬懿は使者が来ると聞くと部屋からも出ず、いつも寝台に横たわっていた。

 しかし、あるとき書物を虫干しのため庭に出していたところ、にわかに雨が降ってきた。大事な本が濡れては一大事だ。司馬懿は庭に飛び出し、あわてて本を部屋にしまい込んだ。一瞬の出来事だったが、たまたまそれを見ていた使用人がいた。

 それを聞きつけた春華は、ひとつの決断をする。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史著述家・紀行作家。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、各種雑誌やWEBサイトに寄稿、連載を持つ。全国各地の史跡を取材し、城や温泉にも造詣が深い。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。神奈川県出身。

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