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才能の使いみちを誤った呉の傑物・諸葛恪
2019.01.25

上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」第63回

才能の使いみちを誤った呉の傑物・諸葛恪

著者 上永 哲矢

 トップの地位にいた人や、人気の絶頂にあったひとが、ある失敗を機に急落……。私たちは、そうした例を政治や芸能の世界で幾度も目にする。まさに歴史は繰り返すもので、三国志の世界も同様であった。典型例といえるのが諸葛恪(しょかつかく)その人であろう。

 

諸葛一族の血を受け継ぐ神童ぶり

 諸葛恪は、名軍師・諸葛亮(孔明)の甥にあたる人物だ。とはいえ孔明と同じ蜀ではなく、彼はライバル国・呉の重鎮である諸葛瑾(きん/諸葛亮の兄)の長男である。諸葛家の血筋か、子供のころからその神童ぶりで知られた。たとえば、こんな逸話がある。

 赤壁の戦い(208年)が終わったころ、ある宴席に1頭の驢馬(ロバ)が運び込まれた。諸葛瑾は面長でロバのような顔だったので「似ている」とからかわれ、悪乗りした主君の孫権が、そのロバの額に「諸葛子瑜(しゆ)」と墨で落書きした(子瑜は諸葛瑾のあざな)。

 それを見た諸葛瑾本人は、頭を掻くばかりだった。が、その息子・諸葛恪(当時6歳)は立ち上がってロバに近づき、額の文字の下に「之驢」の2字を書き加える。孫権はその機転と親を想う気持ちに感心し、ロバを彼に与えた。諸葛恪は「これは諸葛瑾だ」という意味の言葉を「これは諸葛瑾の驢馬だ」という意味に変えたのである。

 またあるとき、皇太子の孫登(そんとう)が戯れに「おまえは馬の糞でも食っていろ」と言ったので、諸葛恪は「では太子様には、鶏の卵を食べていただきます」と返した。その意味を問うと「その出どころは同じです」と返答した。万事こんな調子で、孫権はその才気と舌鋒によく大笑いしていたという。

 これだけなら面白バナシで終わるのだが、言葉で人を動かせることを知った諸葛恪は、相手を論破することを繰り返し、傲慢になっていく。

 諸葛恪はある宴席で、孫権に命じられ、酒を注いでまわっていた。しかし、重鎮の張昭(ちょうしょう)が杯を伏せ「おまえは老人を労る礼に背いている」と言う。諸葛恪はそれに対し「昔、呂尚(太公望/周の軍師)は90歳になっても役目を辞退しませんでした。私はあなたを先頭に立てようとするだけで、労らないわけではありません」と言い負かし、ついに飲ませてしまった。

 それでも言葉の端々に教養があるためか、孫権は諸葛恪を寵愛した。父親の諸葛瑾は、昇進を重ねる息子を見て気を揉んだ。自分とは正反対の傲慢な性格に育ってしまったことを嘆いた。「恪のやつは、諸葛家を大いに盛んにするだろう。だが、しまいには我が家は根絶やしになるかもしれない」と話していたという。

 

呉の大黒柱へと駆け上がり、絶頂期へ

 無論、口ばかりだったわけではない。ある年、諸葛恪は異民族(山越族)の討伐に赴く。呉の国は昔から丹陽郡を根城とする山越族の反乱に悩まされ、従わせられずにいた。諸葛恪は「私が行けば4万人をわが軍の兵にしてみせます」と豪語したが、周囲の者はみな「できるわけがない」といって信じなかった。

 丹陽郡に着いた諸葛恪は、… 続きを読む… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史著述家・紀行作家。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、各種雑誌やWEBサイトに寄稿、連載を持つ。全国各地の史跡を取材し、城や温泉にも造詣が深い。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。神奈川県出身。

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