上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第56回)

これぞ軍師の生き様!曹操を影で支えた名参謀・荀攸

2018.05.27 Sun連載バックナンバー

 英雄の陰に軍師あり。今回は、過去にも紹介した郭嘉(かくか)、荀イク(じゅんいく)とともに、覇道を歩む曹操(そうそう)の補佐にあたった荀攸(じゅんゆう)の生涯および、その決断を取り上げてみたい。

 

董卓暗殺を企てた気骨ある名士

 荀攸の生まれは、黄河の南岸にある現在の河南省許昌市。当時、多くの名士を輩出した潁川(えいせん)と呼ばれた地である。幼いころから聡明な子で、人相を見ただけで殺人を犯した者を見抜いたこともあり、大人たちからも一目置かれていたという。

 西暦189年、近隣の都市から20名の名士が都・洛陽に招かれることになった。荀攸は、ちょうど30歳を過ぎたころだったが、その中のひとりに選ばれ、宮仕えの身となる。平和な世であれば、そのまま有能な官吏として生涯を過ごしたかもしれない。しかし、やがて洛陽は董卓の支配下に収まり、人々はその恐怖政治に苦しめられるようになった。曹操や袁紹のように洛陽を脱する者もいたが、ほとんどの者は董卓の専横に憤りつつも大人しく従うほかはなかった。

 そんななか、荀攸は都に留まり、董卓暗殺を計画。同志たちを集めて決行のタイミングを図っていた。あるとき、同志のひとりで、伍孚(ごふ)という役人が、機を見て董卓を刺殺しようと躍りかかるが、董卓は手強く用心深かった。すぐに取り押さえられ、返り討ちに遭ったのである。伍孚の失敗を皮切りに、荀攸の計画は露見し、首謀者として牢獄に入れられてしまった。

 脱出の手立てはなく、もはや処刑を待つだけ。ともに牢に放り込まれた同志は絶望のあまり病死したのに、荀攸は常と変わらず食事を摂り、粛々と時を過ごした。自分は正しいことをしようとしたが、運悪く失敗したに過ぎない。ただ堂々としていればいい――。そう考えたのだろう。その荀攸の決断は、ほどなく実を結ぶ。同志の一味、王允(おういん)が呂布と共謀し、董卓殺害に成功したのである。荀攸は程なく牢獄から助け出された。

 

曹操の信頼をどうやって得たのか?

 董卓が世を去ったあと、中国大陸は混沌とし、乱世が到来。荀攸はしばらく鳴りを潜めていたが、やがて曹操の陣営に加わることとなった。すでに曹操に仕えていた叔父、荀イクの推挙であった。荀攸に面会した曹操は、ひと目でその才に感じ入り、ただちに軍師に任命する。

 だが、荀攸が曹操の信頼を完全に得るまでには、いま少しの時を要した。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、紀行家

日本史・三国志を題材に各種雑誌やウェブに連載記事多数。歴史取材の傍ら、城や温泉に立ち寄ることが至上の喜び。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄書房)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)。神奈川県横浜市出身。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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