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神医・華佗、秘伝の医学書を焼き捨てて世を去る
2016.05.20

上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」第35回

神医・華佗、秘伝の医学書を焼き捨てて世を去る

著者 上永 哲矢

 中国には、「五禽戯」(ごきんぎ)という健康・気功法がある。虎・鹿・熊・猿・鳥の動作を取り入れた体操のようなもので、太極拳より1000年ほど発祥が古い。それは約1800年前、「三国志」に登場する名医・華佗(かだ)が編み出したといわれるものだ。

 

多くの患者を救う一方で、容赦なく死を宣告

 「人の体は動かさなければならない。体を動かせば穀物の気が消化され、血脈がスムーズに流れ、病気も生じようがない」と華佗は提唱していた。現代では適度な運動が健康に良いことは常識ともいえるが、三国志の時代から叫ばれていたと考えると、なおのこと説得力が増すように感じられる。

 華佗の生まれは、あの曹操と同じ沛国ショウ(はいこくしょう)県。役所から何度も招かれるが、役人になるのを拒み、ひたすら学問や医術・薬学に打ち込んだ。やがて医者として名を高めた彼は、前述の健康体操を実践していたのか、100歳近くになっても若々しい見た目を保っていたという。

 華佗は患者に薬を処方するときも、秤(はかり)を使わず適量を目ではかっていた。また、鍼(はり)や灸(きゅう)を使って多くの人を病から救ったばかりか、外科手術まで施した。麻酔を使って患者の痛覚をなくし、腹部を切り開いて腸の中を洗い、元通りに縫いなおしたという。このような具合で、彼が診た患者はほとんどが快方に向かった。

 その一方で、「治らない」とみた患者には容赦なく「死の宣告」を行なうことでも知られていた。「熱いものを食べさせてみなさい。汗が出れば治るが、汗が出なければ3日で死ぬ」「もっと早く診せにくれば治っただろうが手遅れです。あと5日の命しかない。急いで家族に会いなさい」などと告げ、果たして患者はその通りになったという。

 このような名医なので、当時の名だたる人物の診療も行なっている。たとえば劉備が徐州で世話になった陳登(ちんとう)は、魚の刺身を好んでいたためか、腹の中に虫が湧いて苦しんでいた。華佗は… 続きを読む… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史著述家・紀行作家。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、各種雑誌やWEBサイトに寄稿、連載を持つ。全国各地の史跡を取材し、城や温泉にも造詣が深い。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。神奈川県出身。

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