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片眼を失って「開眼」、諸将に模範を示した夏侯惇
2015.08.17

上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」第21回

片眼を失って「開眼」、諸将に模範を示した夏侯惇

著者 上永 哲矢

 劉備には、関羽張飛という忠臣が居たことは有名だ。一方、その劉備のライバル・曹操にも兄弟のような忠臣たちがいた。そのひとりが曹操の血族に連なる夏侯惇(かこうとん)であり、同じく一族の夏侯淵(かこうえん)、曹仁(そうじん)や曹洪(そうこう)とともに、曹操を補佐した名臣として知られる。

 

敵の捕虜となってしまう痛恨のミスを犯す

 曹操の父は、もともと夏侯家の出身だったが、曹家の養子に入ったことで「曹」姓を名乗った。そのため、曹操と夏侯惇は同族であり、実際に従兄弟(いとこ)同士。そうした血のつながりもあり、夏侯惇は生涯をかけて曹操に忠誠を尽くすことになる。

 旗揚げした頃の曹操軍は、兵力も少なく苦難の連続だった。西暦190年には董卓軍に手痛い敗北を喫し、兵の大半を失ってしまう。夏侯惇は曹操とともに揚州(中国南東部)へ行き、兵士集めに奔走した。2人は創業の苦楽を共にしあった仲間といえる。

 のちに曹操は大軍を手に入れると、夏侯惇に別軍の指揮を任せ、出陣の時は荀イクとともに留守を任せることも多くなった。いかに曹操が彼を信頼していたかが分かる。

 さて、夏侯惇といえば小説『三国志演義』では関羽とも互角に打ち合うほどの猛者として描かれている。しかし、正史『三国志』を見る限り、実像はかなり違ったらしい。最前線での戦闘はあまり得意ではなかったようで、こんな大失態を演じている。… 続きを読む… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史著述家・紀行作家。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、各種雑誌やWEBサイトに寄稿、連載を持つ。全国各地の史跡を取材し、城や温泉にも造詣が深い。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。神奈川県出身。

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