若いころはパッとしなかったのに、歳をとってから見違えるような活躍をする人がいる。張遼(ちょうりょう)という男は、まさにその典型だ。正史『三国志』によれば、若いころの彼の特徴といえば「人並み外れた武力があった」という程度の記述で、見せ場はほとんどない。
ただ、乱世では「人並み外れた武力」は役に立ったようで、彼はどこへ行っても重宝された。張遼は最初、丁原(ていげん)という人物に仕え、洛陽で丁原が殺されると董卓の配下になるが、董卓が呂布に殺されると呂布に付き従った。
4人目の主君のもとで、ビッグチャンス到来
自分の意志とは関係なく、次々と主君を替えることになったが、殉じることも逆らうこともしていない。いってみれば「流されるまま」の人生。しかし、見方を変えれば、逆境でも生き抜くタフな男であり、新たな主人にも「こいつは使える」と思わせる何かを持っていたともいえる。とはいえ、当時の張遼は「金の卵」に過ぎなかった。
その卵が孵(かえ)るきっかけは西暦198年、3度目の主君・呂布が曹操に討伐されたときである。同僚の高順(こうじゅん)や、陳宮(ちんきゅう)が処刑されたのに対し、張遼は生きのびて曹操を「第4の主」とする道を選択する。すでに30歳(34歳説もあり)を過ぎようとしていた。
曹操が張遼を召し抱えたのには理由がある。それは呂布の支配下にあった屈強な騎兵たちを彼に引き継がせるためだ。騎兵は貴重な戦力である。その騎兵たちと付き合いが長く、率いる術もよく知っている者でなければならない。そこで白羽の矢が立てられたのが張遼であった。
しかし、活躍の場を与えなければ宝の持ち腐れ。曹操は、降ってきたばかりの張遼に次々と大仕事を任せる。彼の実力を試す意味もあったのだろう。「乱世の英雄」と称された曹操のもとで、天下にその才能を知らしめるチャンスがついにまわってきたのである。
一躍、曹操軍のエース格に成長… 続きを読む