容姿端麗な指揮官であり、「赤壁の戦い」を勝利に導いた孫権(そんけん)軍の大黒柱・周瑜(しゅうゆ)。映画『レッドクリフ』(2008年)で、トニー・レオンが演じた主人公として、その名を知る人も多いはずだ。
そんな彼は、第7回で紹介した孫策の幼なじみだった。2人は同い年で幼いころに意気投合し、「断金」(だんきん=金属も断つ)といわれるほどの親交を結び、大人になってからは橋公(きょうこう)という名家の娘をそれぞれ妻にした。名の知れた美人姉妹のうち、姉の大橋(だいきょう)を孫策が、妹の小橋(しょうきょう)を周瑜が娶ったという。
劉備・関羽・張飛が義兄弟だったというのはフィクションだが、孫策と周瑜は史実に記される本当の義兄弟だったのである。今回は、特に正史(史実)における周瑜の活躍を取り上げたい。
20歳で孫策の陣営に参加。颯爽としたデビューを飾る
孫策はその軍才、武力で一気に勢力を拡大したが、それを補佐したのが周瑜である。
孫策は父の名声を頼りにした「成り上がり者」だったが、周瑜の実家は大変な名家として知られていた。周瑜は彼を資金・名声の両面からサポートし、その躍進に貢献したのである。当時2人は20歳、満ちあふれる才覚を存分に発揮し、数年で江東(中国東南部)に一大勢力を築き上げた。
しかし西暦200年、義兄の孫策が刺客に襲われて急死してしまう。26歳の若さである。このとき、周瑜は前線基地の巴陵(はりょう)で兵を訓練していたが、悲報を聞いてすぐに駆けつけ、葬儀に参加する。
弟も同然の孫権を盛り立て、赤壁の戦いに勝利
絶対的リーダーを失い、孫家の陣営は大きな悲しみに包まれ、大きな混乱に陥っていた。孫策には子供が一人いたものの、跡を継げるような齢ではない。結局、弟の孫権が跡を継いだが、まだ19歳。正直どうしていいか分からない、といった状況だろう。
事実、若くして『3代目社長』になった孫権を軽んじる者たちは多かった。しかし、周瑜は違った。率先して孫権に臣下の礼をとり、変わらぬ忠誠を誓う。諸将もそれを見て態度を改め、孫権を盛り立てるようになる。
孫権は母から「周瑜を自分の兄と思いなさい」と諭され、また「何ごとも彼に相談せよ」という孫策の遺言に従い、周瑜に軍事・外交のいっさいを取り仕切らせる。
それから8年後の西暦208年、いよいよ曹操(そうそう)が江東に侵攻する構えを見せ、孫権にも服従するよう迫ってきた。有名な「赤壁(せきへき)の戦い」の幕開けだ。… 続きを読む