昭和の時代を疾駆した名車にフォーカスを当てる新連載。初回では日本初のスペシャリティカーと呼ばれた、「トヨタ・セリカGT」の魅力に迫る。
1970年、日本は本格的な高速モータリーゼーション時代を迎えた。前年の1969年5月26日には、東名高速道路で最後に残っていた大井松田〜御殿場間がつながり全線開通。同時に国産車の高性能化が急速に進んだ。
トヨタは1960年代、コロナ、パブリカのラインアップの溝を埋めるために、カローラを投入しエントリーユーザーの獲得に成功した。一般的な給与生活者にも急速に自動車生活が浸透し、自動車を所有するライフスタイルができつつあった。
そこでトヨタは、時代のもう少し先を読んだ。カローラとコロナの間を埋め、乗用車のフルラインアップ化を進める。そしてもう一方で、普通のセダンでは満足できない“伊達男たちが思う恰好の良いクルマ”あるいは“スポーティなクルマ”を求めるユーザーのニーズを嗅ぎ取っていた。
そして、1969年に開催された第16回東京モーターショーで、その想いは「EX-1コンセプト」というかたちで発表され、翌年12月にデビューした。
ヤマハと協働で開発したDOHCユニット「2T-G」
それは、日本初のスペシャリティカーと言われる初代「トヨタ・セリカ(Celica)」である。セリカは米国で1960年代に“ポニーカー”としてデビューし、アメリカ自動車史に残る大ヒットとなったフォード・マスタングにならった手法を幾つも採用している。先のプラットフォームの共有化だけでなく、普通のセダンからエンジンやミッションなどのパワートレーンをも移植して価格を抑える手法だ。
ポニーカーとは、米国の中間富裕層の子どもに与える、少しだけスポーティで比較的リーズナブルな、自動車運転練習用のクルマだ。ポニーとは、かつて裕福な牧場オーナーが、その子弟に乗馬練習用として与えた小型の馬のことである。そこからマスタングはポニーカーと呼ばれたわけだ。
セリカは、その初代フォード・マスタングが採用していた「フルチョイス・システム」を導入した。つまり、エンジンやトランスミッション、エクステリア、インテリア、その他装備を予算や好みに応じて組み合わせ、自分だけの「セリカ」が構築できるというものだった。
しかし、当時は自動車社会が成熟に向かっていたとはいえ、まだ日本でクルマは「一家に一台」がやっとの時代。2座スポーツカーは「カッコよく、話題性もある」けれど、販売数に結び付かない。ところが、セリカは定員5名のスペシャルティカーだった。実際は「2+2」のスポーティクーペだが、当時4名乗車のセリカを目撃する機会は少なくなかった。
そんな自動車文化が未成熟な時代に… 続きを読む