ここ数年「クールジャパン」として世界から注目されるようになった日本文化。円安効果も相まって、多くの外国人観光客が日本を訪れるようになり、日本にはマニュアル重視の欧米的サービスとは異なる「もてなし」の精神があると評判になっています。
とはいえ「もてなし」の心とは具体的に何を指すのか、最も理解していないのが私たち日本人かもしれません。というのも、あまりに「当たり前」すぎて客観視できないうちに高度成長期を経たことで、市場原理による競争と合理化に慣れすぎているから。
そこでおもてなしの原点と言われる茶道の歴史をたどりながら、その神髄に触れてみたいと思います。
安土桃山時代に堺の商家に生まれた千利休によって大成されたといわれる茶道。彼が唱えた「侘び茶」は、その当時武士階級が権力を誇示するために豪華絢爛に走り過ぎたお茶の世界を変え、本来の「もてなし」の精神を取り戻すためのものでした。
彼は唐物という今で言うブランド物を用いることをやめ、竹林から切り出した竹の一節を花入としたり、朝鮮などで長年生活雑器とし使われた末に味が出てきた飯茶碗を道具として用いたり、にじり口から頭を低くして入るごく小さな茶室を作ったりして、一服の茶を間に、亭主(招く側)と客(招かれる側)が対等に向き合い、互いの気持ちを察しあう「場」を作り出したのです。
これは利休独自の深い思想によるものであると同時に、その頃の彼の立場を明確にして、人間関係をスムーズに展開させる働きもあったでしょう。当時利休は商人、一介の茶人として多くの武将たちの苦悩や葛藤を聞き、さりげない助言や提案をすることも多かったようですが、個性の強い武将の中には、なかなか心を見せない御仁も多い。そこで利休は侘び茶の思想に基づく茶室という「場」を作り、世俗の利害関係や権力を笠に着た態度を捨てさせ、虚心坦懐になってもらうための装置にしたのかもしれません。
現代のビジネスシーンで言えば、… 続きを読む