温故知新――故き「ビジネス書」を温ねて、新しき「経営課題」を知る連載の第5回では、4回で取り上げた「テイラーの科学的管理法」、が日本の経済人にどのような影響を与えたかを取り上げます。
テイラーの管理法は、詳しくは前回の記事で紹介しましたが、簡単に言えば「短い労働時間で高い生産性を実現する」ことです。
20世紀に入ると、日本は、テイラーの科学的管理法を導入し、仕事の作業能率を高める「能率運動」を始めます。この運動は、業務の改善案を現場作業員に求めるという日本的経営を生み出しました。
アメリカでは、科学的管理法に続いて統計的品質管理というマネジメントが生まれ、軍需生産品のばらつきをなくす品質管理に役立ちました。一方、日本では、製品のばらつきを一定範囲に管理し、製品に均質性を求める経営者も現れましたが、統計的な品質管理は戦前の日本には伝わらず、能率運動も不徹底でした。日本の能率運動は、アメリカに及ばず、たとえば電機産業の日米の労働生産性は、終戦直後の時点で4倍から30倍の差が生じていました。
今回は、経営学者である佐々木聡『科学的管理法の日本的展開』(有斐閣,1998[以下、日本的展開])などを参照しながら、近代陶業や電機通信などの分野で、科学的管理法がどのように日本に導入されたのか、そして第二次世界大戦にどのような影響を及ぼしたのか、その歴史を探ります。
テイラーの管理法を学ぶ日本企業が続出
科学的管理法を早期に取り入れたのは、日本初の外資提携企業である日本電気(NEC)です。アメリカで“発明王”トーマス・エジソンの下で働き、帰国後にウェスタン・エレクトリック社(WE社)とパートナーシップを結んだ岩垂邦彦が、1899年にWE社とともにNECを設立しました。
NECは、WE社との提携により電話機・交換機製造の技術を導入しました。岩垂がWE社に派遣していた実習生が帰国すると、1908年にはテイラーの能率増進法による仕事の分析を開始し、1910年には科学的な課業(タスク)による出来高制度を導入しました(日本的展開pp.52-59)。
1911年(明治44年)にテイラーの原著『科学的管理法』がアメリカで出版されると、1913年には、『学理的事業管理法』との題名に翻訳され日本でも出版され、NECのほかにもテイラーに学ぶ組織が続々と登場しました。
政府の官営事業も例外ではありません。たとえば国の鉄道行政を執り行う「鉄道院」(当時)では、… 続きを読む