温故知新――故き「ビジネス書」を温ねて、新しき「経営課題」を知る連載の第4回目では、アメリカで最初の経営コンサルタントであるフレデリック・W・テイラーによる『科学的管理法』を取り上げます。
19世紀、アメリカで南北戦争、日本で戊辰戦争というそれぞれの内戦が終わると、両国は、産業革命に成功し世界の工場となったイギリスへのキャッチアップに取り組みます。職人によるものづくりを、賃金労働者による大量生産へと変化させ、従業員に長時間労働を強いるようになります。
そんな中、テイラーは仕事のプロセスを分析し「一日分の公平な仕事量(課業)」を科学的に求めました。彼は就労時間の短縮(時短)と賃金の上昇を実現しつつ、総人件費を低下させ、利益率を飛躍的に高めることに成功します。これが、テイラーの「科学的管理法」です。
この科学的管理法は、アメリカ発の経営手法が世界に広まった最初の事例です。アメリカ国内では1910年代に興り、1930年代には日本を含む主な先進国に伝わりました。アメリカの製造業と経営学の隆盛は、このテイラーによる「仕事の分析」から始まったのです。
生産性を高める「科学的管理法」を発明
テイラーは、1856年3月、アメリカ合衆国フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれました。1874年、機械工場の徒弟からキャリアをスタートし、技師長、総支配人と歩みながら、工場生産の効率向上に取り組み、その過程で科学的管理法を完成させました。彼は機械技師として金属切削に関する特許を持つ発明家でもあり、1893年から経営コンサルタントとして科学的管理法の普及に努めました。
科学的管理法が普及したのは1910年にアメリカで鉄道運賃の値上げが求められたことがきっかけでした。この際、テイラーの科学的管理法を採用すれば値上げが不要となるという主張が起こり、論争を巻き起こしつつ注目を集め、アメリカ全土に普及しました。1911年『科学的管理法 (Scientific management)』が出版されると、ロングセラーとなり、翌年には日本語に翻訳されています。
科学的管理法は、1930年代までには、イギリス、日本、ドイツ、ロシアなどあらゆる先進国に行き渡りました。そして科学的管理法が適用されると、労働者は、搾取される存在ではなく、生産性の高い豊かで安定した中産階級となりました。
ドラッカー曰く「テイラーが知的経済の扉を開けた」
テイラーが優れている点は、賢く働くことの優位性に気づき、実践したことです。経営学者のピーター・F・ドラッカーは、科学的管理法によって生産性を高めた働き手が、先進国の経済発展の中心として20世紀の消費社会を生み出したことに注目し、テイラーが「知識経済」の扉を開けたと評価しています。… 続きを読む