戦国時代の大名たちは、領国への支配力を保つためにこぞって家法・家訓といった「お家の決まりごと」を定めました。武家の決まりごとというと、いかにも勇ましそうなものと思いがちですが、じつは「歌道」も修めるよう諭しているものが大変多いのです。
北条早雲は『早雲寺殿廿一箇条』で、「歌の道を知らないとすごく卑しく見える」と、歌道の嗜みを大プッシュしています。また、武田信玄は軍学書『甲陽軍艦』で、武道ばかりではなく歌道も習得するよう説いています。
家訓や軍学書にまで歌の勧めが登場するのはちょっと不思議かもしれませんが、早雲や信玄は、家臣団の心をつなぎとめるには知性や品格もないとダメだとよくわかっていたのです。「文弱」なんて言葉があるものの、実際には文学や歌に励むことは戦国武将にとって決して軟弱なことではなく、仲間たちの心をつなぐために必須の素養でした。
ところで、「歌」には、「うたう歌」と「よむ歌」の二種類があるのをご存知でしょうか。今回紹介する『図解日本音楽史』によれば、音楽性重視のうたう歌は「歌謡」(「謡」も訓読みは「うた」です)で、現在の我々が「歌」と呼んでいるものです。
一方の文学性重視のよむ歌は、お気づきかもしれませんが「和歌」です。5・7・5・7・7の音数律で構成された歌ですね。
両者はどこが違うのかといえば、旋律(音楽性)重視か言葉(文学性)重視か、という程度。歌を「人の心をつなぐツール」としてとらえていた戦国武将には、歌謡も和歌も同じように大切にされたのです。
戦国時代の歌謡、うたう歌とは「能」です。能の祖先は奈良時代に中国から伝わり、日本独自の発展を遂げて、室町時代には「猿楽能」というジャンルが確立しました。戦国時代には最もイケてる“J-POP”だったのです。
能はそもそも舞台芸能ですが、歌だけで披露することもよくありました。「椿姫」や「カルメン」といったオペラの曲を、お芝居なしに歌っているのをご覧になったことがあるかもしれませんが、あんな感じです。ちなみに能曲の独唱は「独吟」といいます。
この能を“人心掌握に使える”と、娯楽や接待の手段に持ち上げたのが… 続きを読む