“悪人イメージ”の強い歴史上の人物は少なくありません。松永久秀とか黒田官兵衛とか、日野富子なんかもそうでしょう。
だけど、そういわれるようになったのには、きちんと理由があります。
久秀は将軍暗殺や東大寺大仏殿への放火など、やり方は少々過激でしたが、それでも天下を狙っていたという点では、結局のところ織田信長と同じ人種です。官兵衛は、神格化されがちな夭逝の軍師・竹中半兵衛との対比で陰険な人物にされている節があります。富子にいたっては、情けない夫と息子のせいで自分が幕府を守るしかなかったのですから、お気の毒としかいいようがありません。
そんな悪人イメージの人物の中でも、特に気をつけなくてはいけないのが、敗者側の人物でしょう。
たとえば、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れた石田三成は、その後の江戸幕府でずっと悪臣のそしりを受けてきました。近年は豊臣政権での有能な官僚ぶりなどが評価されていますが、長年にわたって悪人イメージで語られた人物だったのです。
勝者側からすれば、自分の人気を高めるには敗者側の人気を下げるのが手っ取り早いですから、ねつ造も辞さないネガティブキャンペーンをはるのは当然のことです。
さて、ここで忘れてはならないのが、なんといっても平清盛でしょう。いわずと知れた「世紀の大悪人」です。『平家物語』の有名な一節、「奢れるものは久しからず~」の「奢れるもの」とは、ずばり清盛と彼が率いた平家一門を指しています。
さらに、日本人の心には源義経というヒーロー像が「判官贔屓」という言葉とともに骨の髄まで染みついていますから、清盛には分が悪いわけです。

傲慢な平氏に対して勇猛果敢な源氏、陰険で老練な清盛に対してイケメンで軽快な義経(史実ではどこにもイケメンとは記されていないんですが)というコントラストによって、清盛のイメージは徹底的に蔑まれてきました。
でもこれだって、勝者の源氏が敗者の平氏をこきおろした結果なんです。… 続きを読む