「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」と歌われた都といえば、奈良の「平城京」です。
『万葉集』にも収録されたこの歌の作者は、奈良時代の歌人・小野老(おののおゆ)です。平城京の役人でもあった小野老は、九州に転勤となるのですが、そのショックのあまり生み出されたのがこの歌。「九州は田舎だなあ。やっぱり桜の花が咲き誇る奈良の都が一番だ」と、奈良の繁栄を、満開の桜の花にかけて賞賛しているのです。
平城京というと、かわいいのと怖いのとが紙一重のゆるキャラ「せんとくん」がなにかと話題になりますが、遷都から1300年を超える古式ゆかしい都です。前述のせんとくんは、「平城遷都1300年祭」のイメージキャラクターです。
平城京は、できてから一世紀もしないで京都の長岡京に遷都してしまったので、ちょっと影が薄く見られがちですが、興味深い点がいっぱいあります。
軽くおさらいしますと、平城京とはみなさんが学校で「なんと(710)立派な平城京」と習った、奈良時代の都です。
奈良時代は仏教が国で保護されるようになり、聖武天皇が大仏や国分寺を多く建立しました。仏教が非常に発展を遂げた時代といえます。そして中央集権国家が確立し、新しい国家のためにつくられた大規模な都が平城京なのです。
平城京の構造の特徴は、中国の都・長安をモデルにした碁盤の目状の道路で、これは京都の平安京にも受け継がれています。人口は一説では約20万人とされており、現在の愛知県名古屋市と同じくらいという、大変立派な都でした。
だがしかし、です。その内情は数多くの謀略術数が渦巻く、人間関係ドロドロの都だったのです。
有名なところでは、僧でありながら天皇と通じて権力を握った怪僧・道鏡という人物がいます。独身女帝の孝謙天皇が、道鏡と肉体関係となり、政治に参入させたという伝説です。でもこんなのは序の口です。
政治に仏教を取り入れて国を発展させた聖武天皇は、今では名君と称賛されることもありますが、それは虚像といえるでしょう。なにしろ大仏建立の本当の目的は「自分が怨霊から救われたかった」ことが理由なんですから。つまり、自分のために仏像造営の莫大な資金を使ってしまった困ったちゃんだったわけです。
さらに、平城京の構造にもミステリーが隠れています。… 続きを読む… 続きを読む