このように日本企業の場合は、職務規定やルール、論理や理性ではなく「空気で動く」文化的な側面が強いため、あらゆる面で理屈では説明できない判断や動き方が出てきます。
予定した通りの流れに沿って物事が運ばれ、結果もその通りになる、という「予定調和」を重んじる空気は、経営レベルの会議での発言にも制約をもたらします。施策に問題があることがわかっていても、それがトップの肝いりならば異を唱えない。会議の場での成果報告には不備や抜かりがないように、出席者の部署では部下が総動員で会議対策用の準備をします。
そもそも、失敗やリスクにつながる新しいことや経験にないことはやらない。安定重視の価値観がもたらすのは、すでに経験済みのやり方を踏襲することをよしとする前例主義です。
また、日本企業では上役の指示内容には、問い返しをし難い空気感があります。仮に無理難題を押しつけられて無理だとわかっていても、部下は「やります」と答えざるを得ない。そして、できなくても「やっています」と答えることでお茶を濁す。こうした悪意のない「面従腹背」も、まさに日本的な仕事の仕方というものです。
もともと空気で動いているものに、理論や理屈は通用しません。欧米流のマネジメント理論や組織論を学び、関係性構築に効果的と言われる対話のツールを取り入れても、組織が序列とタテマエで動く調整文化の土壌を持ち、人々がその空気を読んで自主的に動いているかぎり、知識や認識と実態とはつねに乖離したままなのです。
それが文化というものの怖さでもあります。
時代に勢いがある右肩上がりの経済の時代には、少々の問題は覆い隠して突き進もう、という空気が強く働き、“とにかく何が何でもその場を収める”といった調整の対処方法はそれなりに有効でした。そうしたことを通じて守られた社会の安定が(深いところでの矛盾を抱えたままではありながらも)目の前に開ける日本経済の高度成長を後押ししてきたのです。
その成功体験は、平成の時代を経た今も調整文化とともに日本企業の中に生き続け、企業の進化と成長にブレーキをかけ続けているのです。
次回は、こうした「調整文化」を克服するアプローチを紹介します。