日本の組織で働いている人間は、当たり前のように「空気を読む」力を必要とされます。何かをしようとするとき、何かが起こったときにも、責任者は“組織として”の意向のような空気を意識し、ことごとく個人の勝手な判断を避けようとします。
たとえば、外国企業と取引をする場合、日本企業側の責任者は、ことあるごとに「上司と相談します」「検討、調整してお返事します」という決まり文句を口にし、判断や意思表示を避けて持ち帰るのが当たり前です。外国企業の人間も最初は戸惑いますが、つき合っていくうちに、それは個々の担当者の資質の問題ではなく、どうやら日本企業に特有の仕事の作法があるらしいことに気がつきます。
日本と欧米では、組織と人の動き方に本質的な違いがあります。職務が厳密に規定されている欧米型組織では、部下はマネジャーの指示命令には必ず従う。マネジャーが絶対的な権限を持っているからです。ただ、上司も部下も人間としては対等だという考えですから、指示には従うけれど、主張も当たり前のようにします。
これに対し、日本企業の組織は、必ずしも職務規定にのっとって動いているわけではありません。指示命令系統とはまったく別の原理、その社会のしきたりや約束事などの暗黙の了解が、人々に自己規制を強いる圧力となって働き、組織は動いているのです。
この組織を動かす原理は、伝統ある、日本を動かすような影響力を持つ大規模組織であるほど、人々の強い縛りとして作用しています。そういう組織に根付いているのは、昔ながらの「組織に対する忠誠を守る」というタテマエと、身体に染みついた序列意識です。そのタテマエと序列意識が醸し出す「空気」が主(ぬし)となり、人々に「枠」からはみ出さないで「予定調和的に」動くように指示しているのです。
この空気感をつくっている日本ならではの文化を私は「調整文化」と言っています。それを調整文化と名づけたのは、私が長年、日本企業の組織風土の問題に内側から接してきた中で、どの企業もほぼ例外なく、その問題の底流に共通する特質を持っていたからです。
それは企業によって程度の差こそあれ、「本質的な問題解決に向かうのではなく、調整することなどを通じて目の前にある安定を予定調和的に最優先させる」ということ。つまり、「一時しのぎではあるかもしれないがとりあえず問題を抑え込み、無いことにする」といったことが当たり前に行なわれている文化です。
調整文化というのは予定調和、言い換えれば「事実・実態を大切にして問題を掘り下げていく」ことよりも、とりあえずの形、言うならば「表向きの体裁を整える」ことを優先する価値観に根ざしています。日本を代表する、まじめなはずの大企業で不祥事が跡を絶たないのも、これが理由だとすれば納得がいきます。内部で何か重大なミスや失敗などの問題が見つかっても、表向きは「無かったこと」にして収めてしまう事の処し方、そうさせる空気に、組織が支配されているからなのです。