Bizコンパス

故・野村監督が選手に要求した「努力の方向性」とは?
2020.03.16

小山宣宏の「勝利の裏にあるもの」第43回

故・野村監督が選手に要求した「努力の方向性」とは?

著者 小山宣宏

「甲子園の優勝投手」というプライドをかなぐり捨て、人生が開けた

 これとは反対に、「自分を変えた」ことで人生が開けた選手がいる。95年、ヤクルトに移籍してきた山口重幸という選手だ。

 この名前を聞いて、プロ野球ファンでもピンと来ない人は多いだろうが、高校野球ファンなら覚えているかもしれない。1984年、春のセンバツで東京・岩倉高校を初出場・初優勝に導いた優勝投手である。

 山口は84年のドラフト6位で阪神に入団した。その時点で投手には見切りをつけ、プロでは内野手としてスタートを切った。

 だが当時、阪神の内野は、ランディ・バース、岡田彰布、掛布雅之、平田勝男とそうそうたる布陣で固められており、山口がつけ込む隙はなかった。そのうえ度重なるケガによって、94年のシーズン終了後には、阪神から戦力外通告を受けてしまう。

 その後、縁あってヤクルトの入団テストに合格した。

 翌95年の春季キャンプ、山口は左手にグラブをはめ、守備練習に明け暮れた。「バッティング練習はいつするんだ?」という周囲の心配もよそに、朝から晩までひたすらボールを追い続けた。

「甲子園の優勝投手だと聞いてはいたが、山口はなかなか謙虚なヤツだな」

 野村監督の目にはそう映っていた。過去の栄光をかなぐり捨て、山口は必死に取り組んでいたのだ。「ここでダメなら、もうプロ野球選手としての道は閉ざされる。だったら守備のスペシャリストとして生き残る」。覚悟を決めて、退路を断った山口の姿は、監督の心を動かした。

 この年、山口はサードの守備固めとして77試合出場した。プロ入り以来、最多の出場試合数である。守備のスペシャリストとして、この年のヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献した。

「あの一途なまでの懸命さが、使いたくなる理由だよな。真面目にコツコツ取り組むことができるのは、彼の最大の長所だ」

 野村監督にそう言われるまでのプレーヤーとなった。

 山口は翌年も62試合に出場したが、若手の宮本慎也の台頭もあり、この年限りで現役を退いた。引退に際して野村監督へあいさつに向かうと、思わずこんな提案を受ける。

「進路が決まっていないのなら、ヤクルトに残ったらどうだ? 一生懸命取り組む長所を生かして、今までとは違った形で野球界に貢献したらいい」

 そう誘われると、裏方としてヤクルトにそのまま在籍することとなった。引退して24年が経つが、今でもスコアラーとしてチームを陰から支えている。

 過去の栄光は、簡単に拭い去れるものではない。だが、今のままでは自分の力は通用しないと気づいたときに、プライドを捨てて変わることができるか。これが実践できれば、プロ野球選手としての未来は開けていく。野村氏はこのことを伝えたかったに違いない。

 

今一度、「自分のセールスポイント」を見つめ直す

 野村氏の考え方は、ビジネスの世界での若手指導にもそのまま当てはまる。

「オレの考えをビジネスマンが求めているなんて、世も末だよ」などと、当人は謙遜に語っていたが、人生について、ここまで説く野球の指導者は、今後はもう出てこないかもしれない。

「どんなに要領が悪く、不器用な人間でも、『自分のセールスポイント』を見つけて、愚直なまでに努力を重ねていけば、自分を必要としてくれる人が必ず現れる」。この野村氏の言葉を最後にみなさんに送りたい。

関連キーワード

SHARE

関連記事