NTTコミュニケーションズ

Bizコンパス

故・野村監督が選手に要求した「努力の方向性」とは?
2020.03.16

小山宣宏の「勝利の裏にあるもの」第43回

故・野村監督が選手に要求した「努力の方向性」とは?

著者 小山宣宏

「努力の方向性を誤るな」と言い続けた理由

 野村監督が教え子たちに諭した言葉は多岐にわたる。特に「努力の方向性を誤るな」と言う言葉は一流、二流を問わず、多くの選手の心に突き刺さった。

 監督が最も信用しなかったのは、変化に抵抗を示す選手だった。甲子園で大活躍した、あるいは過去にタイトルを獲得したといった選手に多いタイプである。両者に共通しているのは、過去の成功体験にしがみついて、欠点を直視しようとしないことだ。

 ヤクルト監督に就任した1990年、笘篠賢治という選手がいた。中央大学から88年にドラフト3位でヤクルトに入団。大学時代はソウルオリンピックにも出場し、プロ入り後も俊足巧打を持ち味に、セカンドのレギュラーを手中におさめ大活躍した。ルーキーイヤーの89年にはセ・リーグの新人王に輝いた。

 彼の2年目のシーズン、野村監督が就任した。監督は笘篠の努力は認めた。しかし、方向性には疑問符をつけた。俊足巧打が持ち味なのに、ホームランバッター並みにバットを長く持ち、長打狙いを続けていたからである。明らかに努力の方向性を誤っていた。

「もっとバットを短く持って、ゴロを打つことを心がけなさい」

 そうした野村監督のアドバイスにも、耳を貸そうとはしない。「自分のスタイルを貫き通して使われなくなったら、それは仕方がない」と、まったく意に介す様子がない。オリンピックに選ばれ、プロでも新人王を獲った。それだけに自分の技術には自信があったのだろう。

 だが、そんなあるとき、「事件」が起きた。

 90年、ナゴヤ球場での中日戦だった。相変わらずバットを長く持ち、笘篠は打席に入った。それを見た野村監督は、「いつまで長くバットを持っているんだ! 短く持て!」と、笘篠に向かって怒鳴り始めた。あまりの剣幕にベンチは驚きを隠せない。しかし、当の笘篠本人はどこ吹く風とばかりに聞く耳を持たない。この打席の直後、監督は笘篠に交代を命じた。

 その後、笘篠は試合で起用される機会が減っていった。度重なるケガもあって97年にヤクルトから戦力外通告を受け、99年に移籍先の広島でひっそりと引退した。

 プロである以上、自分のやり方を貫く姿勢は決して否定されるものではない。しかし、プロである以上、自分のやり方を貫くのであれば、同時に結果も出さなければいけない。

 もし努力の方向性を誤ることなく、笘篠本人が変えるべきところを変えていれば、監督の評価はまったく違うものになっていたはずだ。華やかなキャリアを持つ選手ほど、自分を変えることは難しい。笘篠のエピソードは、このことを痛感させる。

関連キーワード

SHARE

関連記事