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三浦知良が52歳になった今もなお「現役」にこだわる理由
2019.12.19

小山宣宏の「勝利の裏にあるもの」第40回

三浦知良が52歳になった今もなお「現役」にこだわる理由

著者 小山宣宏

悲劇と屈辱が財産となる

 だが、事はうまく運ばなかった。

 93年のアメリカ大会アジア最終予選の対イラク戦では、後半のロスタイムまで2対1とリードしていながらショートコーナーから同点ゴールを決められ、引き分けに終わる。この結果、勝ち点で並んでいた韓国に得失点差で差をつけられ、ワールドカップ出場を逃した。俗に言う「ドーハの悲劇」は今でも語り草となっている。

 さらに悲劇はこれだけで終わらない。97年のフランス大会アジア予選では、マレーシアのジョホールバルで行われた第3代表決定戦でイランに3対2で勝利し、日本は悲願のワールドカップ初出場を決めた。だが、カズは大会直前の代表合宿中に、当時の岡田武史監督から最終メンバーからの落選を告げられ、ワールドカップのピッチ上に立つ夢は儚く消えた。

 開幕直前の非情な決断に、日本中が賛否両論に包まれた。当のカズ本人は成田に帰国後、多くのメディアに囲まれる中、こう語った。

「また新たに目標を持って戦えばいいと気持ちを切り替えました」。

 こう言い切れるのが、カズの強みだ。半分は自分を奮い立たせるための強がりだったかもしれないが、半分は本音であるに違いない。

 実はカズはこんな青写真を描いていた。

「ワールドカップに出場し、その後は海外のレベルの高いクラブチームで自分を磨いていく」。

 ワールドカップに出場できなかったが、海外でのプレーを実現させた。94年にはイタリアのジェノア、99年にはクロアチアのザグレブに移籍した。

 結果を見れば、両チームで大きな活躍はできなかった。ジェノアでは日本からスポンサーが大挙したことから、現地メディアから「円を運んでくる男」などと揶揄され、色眼鏡で見られることもあった。ザグレブは内戦の傷跡がまだまだ色濃く残り、国として再生の道を歩み始めたばかりだった。

 けれども、こうした1つ1つの経験が、カズというサッカー選手を確実に成長させていった。異国で暮らし、文化を共有し、お金を稼ぎながら、サッカーと真摯に向き合い技術を高められたことが大きな財産となった。

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