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三浦知良が52歳になった今もなお「現役」にこだわる理由
2019.12.19

小山宣宏の「勝利の裏にあるもの」第40回

三浦知良が52歳になった今もなお「現役」にこだわる理由

著者 小山宣宏

ブラジル時代に培った積極思考

 カズがサッカーを続けていくうえで大きな旗印としていたのが、「世界への挑戦」である。特に16歳から23歳までのブラジルで過ごした8年間は、カズのサッカー選手としての基礎を作り上げた時間と言っても過言ではない。

 ブラジルに渡った当初は、サッカー後進国である日本から来たというだけで、「たいしたことのないヤツ」とレッテルを貼られていた。実際、プレーをしてみると、自分よりはるかにテクニックを持った選手たちが縦横無尽に動き回っている。

「やっぱりブラジルはすげえな」

 そう感じるのも束の間、「すげえ」と思っていた選手は、しばらくすると「実力不足」とクラブ側から評価を下され、クビを切られていく。

「いつかは自分のクビも切られるかもしれない」

 そうした危機感の中で、カズは必死に己の技術を磨いていった。同時にコーチからは、こんなアドバイスを受けていた。

「考えているだけじゃダメだ。考えたら、次にとにかく前に進みなさい」

 悩んでも立ち止まらずに、一歩でもいいから前に進む。いかなる状況においても、カズがポジティブシンキングであると言われる所以は、ブラジル時代に培った考えによるところが大きい。

 87年2月、ブラジルで最もレベルの高いサンパウロ州リーグの「キンゼ・デ・ジャウー」に所属し、日本人として初めてゴールを記録。この試合はブラジル全土に放送され、「KAZU」の名前を一躍有名にした。このときの成功から、カズは「この世界でやれるかも」と確かな手応えをつかんだ。

 ブラジルでの経験を経て、90年7月、日本に帰国すると読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)と契約した。このときカズは小学生の頃からの大きな目標を達成したいと考えていた。それは、「日本代表の選手としてワールドカップに出場すること」だった。

 当時はカズがどんなに「日本をワールドカップ出場に導く」と言っても、多くの人から冷ややかな目で見られ、相手にされなかった。それもそのはず、日本は90年に開催されたイタリア大会のアジア地区一次予選では、早々と敗退していたからだ。

 だが、その3年後、日本におけるサッカー環境は劇的に変わった。93年にJリーグが始まると、カズは日本サッカー界のイメージリーダーとしてリーグを牽引していった。テレビ、新聞、雑誌とあらゆるメディアが時代の寵児としてカズを取り上げた。大きなうねりに巻き込まれながら、トップスターの位置を不動のものにしたのだ。

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